個人治療院の経営戦略7 「スーパーシティ計画」

目安時間4分

今朝のニュースでやっていましたね。

政府がスーパーシティ計画の概要をまとめたそうです。

 

私の師匠が以前どこかのお偉いさんと会談したときに、スモールシティ計画というのを聞いてきたそうです(うろ覚えですみません!)

名称は変わっていますが、スーパーシティ計画、まさにそれっ!という感じですね。

 

とりあえず、ニュースの内容では、スーパーシティに指定された都市では自動化運転自動車のみが走行する街になるということですが、そんな単純な話ではありません。じつは個人の生活からすべてが根本的に変革してしまうような未来がくるのです。

 

自動化運転とスモールシティ化が個人治療院にどんな影響を与えるのかという記事を書かせていただきました。

それが実現に向け、始動したということです。

 

このレポートに書かれた未来が10年後にやってきます。

これから開業しようとされている方、

10年後以降も治療院を続けていこうとされている方、

ぜひともこの未来を知ってください。

 

スーパーシティ計画は単に自動運転の自動車が走るというだけではありません。

詳しくはレポートの中でも書かせていただいていますが、個人治療院(もちろん他の商売にも)の経営に与える影響は大きいものと考えられます。

私たちの生活は自動車の普及によって行動半径が格段に広がりました。

 

そのために個人商店がつらなる商店街が過去のものとなっていったのです。

歩いて行ける範囲のお店、自転車で行ける範囲のお店である必要がなくなったからです。

それによって商売の形体も変わりましたが、当然個人治療院の経営にも影響がでています。

 

歩いて行ける範囲の治療院を選択する必要が無くなったからです。

以前なら、近いからという理由が治療院の選択理由になりましたが、いまは行動半径が広がっていますから必ずしも近くの治療院である必要はないのです。

それが、今です。

 

そして、交通手段として自動運転化自動車となったスーパーシティではどうなるのか?

これは生活圏を一か所に集めるという大きな目的があります。

 

国にお金がない、予算内で国家を運営していくには、便利な機能は一極集中、そうすればすべての町をインフラ整備する必要はなくなり、予算が削減できるというわけです。

 

するとどうなるのか?

 

便利で快適な生活をしたかったらスーパーシティに住みましょう、ということになります。

当然人はスーパーシティに集まってくるでしょう。

 

すると、極端な過疎化で消滅していく町や、1日に数台しか車が走らないような田舎の国道はインフラの対象から外されて行きます。

生活の流れすべてが変わっていく。

 

では、それによって医療の流れはどうなるのか?

個人治療院は経営が成り立っていくのか?

 

詳しくはメルマガの中で!

 

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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