望診法講座113 「東洋医学は嘘と虚構の世界3」

目安時間6分

前回の記事ではおそらく人が本来もっている「原初感覚」によって気滞(と命名された異常個所)を感知して治療に応用していたのではないか、それを体系化したのが経穴、経絡ではないかと述べました。

 

さらに文字、紙の発展によってそのデータが記述され残されるようになると、原初感覚の低下とともに、そのデータをもとにした医術が編集されていったのだと思います。それが古典医学書です。

 

「古典」はこのような経緯で書かれたものなので、経穴経絡の発見過程に関する記述が無いのです(と私は思っています)。

その中には空理空論も含まれており、それらを統合するためにさらに空論を組み立てていったものもあると考えられます。

ですから、古典は真実と虚構が混在しているのです。

 

「書は言を尽くせず、 言は意を尽くせず(易經)」と言われますが、どうしても文字には書けない、文章では伝達できない部分があるものです。

それが経絡、経穴の発見過程であったのだとろうと考えられます。

 

ただ、その原初感覚は失われてしまったわけではありません。

当ブログでもご紹介させていただいていますが、有川先生はもちろん、沢田健先生や仙台の盲目の鍼灸師、またタオ指圧の遠藤先生などはその原初感覚による施術をされていると考えられます。

 

原初感覚は本来ならヒトすべてが持っている感覚ですから、なんの練習も無くても使える人もいるでしょうし、現時点でできなくても練習しだいで発現できるはずなのです。

 

有川先生はこの原初感覚を「印知」能力と呼んで、一般の感覚と特別されていました。

その印知感覚を再獲得すれば、古典の内容も、 まったく違う観点から、検討・追試がなされ、再評価されることと思います。

 

そうなったとき初めて東洋医学は、西洋医学(現象界)に対する潜象界医学として再評価されるのではないかと考えています。

 

東西両医学の「融合、補完」が、 最近の流行りのように言われています。東洋医学は伝統医学、経験医学、人にやさしい医学だと聞こえの良いスローガンのようのいわれていますし、経絡経穴もお題目のように唱えられていますが、その正体を掴んでいる人は誰もいないのが現状なのです。

 

西洋医学と東洋医学の融合と補完を目指すのであれば、両者は本当の意味で融合すべきでしょうし、互いに足りないところを補完すべきでしょう。

東洋医学を科学的に再検討して、西洋医学の一部と化すのは融合でも補完でもないのではないでしょうか。

 

筋肉に鍼を刺す、解剖的位置から鍼を刺す、これは東洋医学ではなく、西洋医学の物理療法です。

 

「東洋医学」と、ただ唱えているだけでは、意味がないと思います。

 

追記 原初感覚を取り戻す練習

電気回路の練習ですが、プラス、マイナスで感覚が違うという先生もおられるのですが、私には違いはあまりわかりません。

同じだという先生のほうが多いように思いますので、そのあたりは、あまり気にせず、練習していただければと思います。

 

外観的なやり方というのは、完全に視覚に頼ったやり方です。

有川先生がどのように気の感覚を習得されたのか、その過程は誰にもわかっていませんでした。

 

それは、有川先生自身が、気の感覚トレーニングを特別つんでいないからです。つまり本人にも説明しようがなかったのです。

だから、ただ黙って見学しなさい、ということになっていたのでしょう。

 

ただ、私が思うに、有川先生はレ線写真をさらに3D映像のように書き写し、またなにかを読み取るように写真を見ていた、という修行をされています(外科医時代)。

 

そのように、普通の人がみれば白黒の意味不明な写真にしかみえないレ線画像を、細かく、それこそ一般人には全く分からないくらいの微小な差異を感じ取るまで「見る」という修行をされました。

 

それが気の感覚習得に繋がったのだと考えています。

この微小な差異を感じ取る、という作業は望診のみならず、スポーツや武道、おそらく芸術、どの分野においても芸事の上達には欠かせないものだと思います。

 

具体的なやり方ですが、

 

ある方が、手軽な方法を提示されています。

 

朝起きたときに自分の部屋をチェックして、昨日と何が違うかを見る、ただそれだけです。

 

最初は物を動かしたとか、誰でもわかるような大きな差異しか分かりませんが、次第にペン1本、紙1枚、くずかごの中など、ぱっと見渡しただけでも数十、数百の差異を感じるようになります(空気とか、湿度とか、雰囲気なんかも)。

 

それはいつも見ている「なにか」でもかまいません。それこそ患者さんでもかまいません。

見えない「なにか」の差異まで感じるとるように、観察する、という訓練です。

 

気の感覚訓練は磁石や電気回路だけではありません。

 

工夫して、やってみてください。

 

 

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東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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