望診法講座124 「私の経絡治療に足りなかったもの」~脈が変化しても良くならないのはなぜ?~

目安時間5分

経絡治療において脉が変化しても症状が変わらないのはなぜ?

 

私は一時期、脉診による診断を主とする経絡治療を実践していたことがありました。

 

ただ、脈や腹証から導きだされた証に対して施術して、脈が良い方向に変化しても、症状がまったく変わらないという例が多々ありました。

おそらく、経絡治療を実践している方が最初にあたる壁ではないでしょうか。

 

原因として考えられることは診断の間違い、施術力の不足(補う力が足りない)、諸先輩からも同じことを言われました。

ですが、のちのちはもう一つの原因を考えるようになりました。

 

それは、そもそもこの症状は経絡治療の適応症ではなんじゃないか、ということです。

そんな疑問が生まれたのは、当時所属していた経絡治療の会を代表する先生に患者を紹介したときのことです。

結論から言うと、いっこうに良くならない。

 

誰もが知るような高名な先生でした。この先生でダメなら治らないだろうとまで考えていました。

でも、症状が改善しないことに業を煮やした患者が自ら探してきた整骨の先生の施術を受けに行き、2回で治ってしまった。

 

その整骨の先生いわく、「こりゃ亜脱臼だから整復しないと・・・」

話を極端に分かりやすくすると、例えば骨折しているなら脈を調えるまえに整復しなきゃだめでしょう、という話です。

 

それが一見、経絡治療の適応にみえる症状であってもそういうことがある。

経絡治療において適応、不適応の判別はしないのかといえば、一応あることにはなっています。

 

しかし、脈をみれば必ず、なんらかの診断(経絡治療においては証といいます)がたつために、よほどの症状でないかぎり施術してしまいます。

つまり、ほとんどの症状を適応にしてしまえるのです。

骨折など極端なものは分かりやすいのですが・・・

 

証というのはまったく無症状かつ医学的には健康と判断される人にも、必ずなんらかの証(病名)がつきます。

健康なのに証がたつことを疑問に思われるかもしれませんが、それを素因脈といいその人の体質を表しているのです。

ですから、健康であっても予防のためにその脈を整えましょう、ということになります。

 

でも、それは本当の意味での経絡変動ではないケースも含んでいます。

脈にはまったく平な状態は存在せず、なんらかの証がたつのが普通だということは、脈差があっても正常だということです。

 

ここは重要なんですよね。

 

脈差があっても正常な場合もあるということは、異常な脈差と正常な脈差をどう見分けるかが重要ということです。

 

普段の状態や問診などから判断するのだと教えられましたが、それだけでは判断しきれないケースもあります。

 

そこが脉診の難しさです。

 

たんなる脈差だけをみるのならある程度の練習で判別できるようになります。

しかし、その脈差の中に経絡変動を捉えようとすると、単なる触覚だけではない「なにか」を感じられるようにならなければ、本当の経絡治療、脈診はできないと思いました。

 

先の例でいえば、そのまま経絡治療を継続しても回復していたかもしれません。

でも整復のほうが、より最短で効果がだせたということなのでしょう。

 

そこで、私は望診によって気滞があるかどうかの判断をまずすることによって、経絡の調整が必要かどうかの判断をすることにしたのです。

気滞があれば、なんらかの経絡変動あり、経絡治療の適応であり、気滞がなければ経絡の変動はなし、経絡治療以外の施術を考える、ということになります。

 

 

脈というワンクッション経ての経絡異常の判断よりも、望診でダイレクトに経絡異常をみるほうが、ある意味では簡単なのかもしれません。

 

 

 

 

 

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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