望診講座110 「現代医学と東洋医学」

目安時間4分

いただいたコメントへの回答です。

 

(質問)

鍼灸学校で、いろんな知識を詰めれば詰めるほど、気流診で言われていることから、遠ざかっていってる気がしてます。

 

手かせ足かせをはめられてく様に。

 

 

(回答)
お気持ちはよくわかります。

 

かつて自分も同じことを思ったことがありますから。

 

でも、今となってみれば、鍼灸学校の勉強ですが、これはこれで大切なことでした。

気の視点のみにとらわれるのも、それはそれで「居着き」を生んでしまい、固定概念から逃れられなくなります。

 

1つの考え、視点、思考に囚われることは危険なのです。

 

そもそも、この世界は気の世界のみで成立しているわけではありません。

 

なので、現象界、潜象界の両面を広く学んでおくことは大切だと思います。

 

解剖、生理の基礎医学から現代臨床まで学んでおくことも必要だということですし、現代医学的な視点から構成された鍼灸もまた、学んでおいて損はありません。

その上で、気の感覚を修得していただければ、大きな視点からの気づきが多くあるかと思います。

 

でも逆に潜象界、気の視点からしか物事を見れなくなってしまうと、間違った方向にいっても気づかない場合があるのです。

 

いまの勉強も大切にしてください。

なにができるのか?が重要!

この技術を修得することで、なにができるのか?

 

その一言につきると思います。

 

私は望診ができることで、経絡の調整専門の施術者を目指しています。

 

ただ、筋肉の状態を良好に保つことは健康の基本ですから経絡以外にも筋緊張の施術技法として整体と10秒筋トレを学んでいます。

 

施術ポイント(もしくは経穴)の選定には「治療家の手(指頭感覚)」が必要となります。

 

その練習方法として「ていしん」「磁石」「電気装置」そして脈診と筋診断法を学びます。

全部する必要はありません。自分の感覚に合う方法を選択すればよいと思っています。

 

さて、肝心の望診法ですが、やはり身体操作が重要だという考えからある程度の身体訓練を行います。

それが「1日で望診ができるようになる身体操作」講座です。

 

うまくいけば本当に1日で望診が可能となるかもしれません。

ちなみにこの身体操作から10秒筋トレが生まれています。

 

さて、治せる施術家の最短の方法は、

自分に治せるか、治せないかを判断できる能力を身に着けること。

自分の手に負えるかどうかを明確に判断できるようになること。

 

決して万能の治療家も施術方法も存在しないのですから。

 

自分は経絡に異常があった場合の調整をする専門家、そのスタンスを守り、自分の範囲外の症状については速やかに適切な医療機関を紹介できるようにしています。

 

あなたは、なにの専門家を目指しますか?

気流診がその一助になれば幸いです。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)、熊坂護先生 (栃木)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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