望診講座120 「年を経ても偉くはならない」

目安時間7分

歳をとると、本当に偉くなるのか?

 

50歳になって思うことは、歳をとったからといって、落ち着きがでてくるわけでもなく、知恵がつくわけでもなく、偉くもなっていないということです。

 

子供のころに見た大人というのは無条件で「出来た人」「偉い人」でした。

でも、自分がなってみると違いますよね。

 

自分だけかと思うのですが、周りの友人もみな同じことを言います。

 

出来た人になったのではなく、単にうまく立ち振る舞う方法を学んだだけ。

知恵がついたのではなく、少々の知識が増えただけ。

 

偉くなったのではなく、仕事をまかされ、お金をもっているというだけ。

ただ、それだけなのです。

 

ではさらに20年後、30年後、歳をとって得るものってなんでしょうか。

 

まわりのお年寄りをみていると、とても辛そうにしている方が多い。

 

介護され、痴呆を発症し、または寝たきりになるひともいます。

 

歳をとって、いいことなんて、なにもないのかもしれません。

 

 

歳をとることは減っていくことを受け入れること

歳をとると、出来ることがだんだん減っていきます。

 

軟骨も減り身長も減っていきます。

 

無くなっていくのです。

 

なにが?と言われれば、それは生まれたときに持って出たエネルギーでしょう。

 

それが尽きると、死を迎えるわけですが、それまではただ減り続けます。

 

それを受け入れることができれば「枯れた人」にはなれるでしょう。

 

でも受け入れられずに、

 

例えば、死というものは単なる日常なのに、受け入れられずに常に「生」に固執し、死を受け入れない。

 

それを仏教では渇愛と言いました。

 

受け入れることができなければ、それは苦しみにしかなりません。

 

なので、出来ないことが増えていく、出来ることが減っていくことをまず受け入れましょう。

 

そこから第1歩が始まります。

 

減っていくことで増えていくこと

なら、歳をとっていいことなんて何もないのか、というと1つだけあるのです。

 

陰陽マークを覚えていますか?

 

この陰陽の円は循環しています。

 

上にいくと極陽、下にいくと真っ黒になり極陰といいますが、

 

よく見ると一方が減ると、もう一方が増えています。

 

なら、これを人の一生に当てはめるとどうなのでしょうか。

 

 

生まれて持っているエネルギーは現象界におけるエネルギーです。

 

それが減ると増えていくのが潜象界の「気」のエネルギーです。

 

いや、正確に言うと、現象界からの影響が減っていくことで、

 

潜象界へのアクセスがしやすくなると言ったほうがいいかもしれません。

 

 

荒々しい、現象界での活動力が減り、精微な潜象界での活動領域が増えていきます。

 

名人芸、達人芸というのはこういうところから生まれてくるのだと思います。

 

現象界からの影響が強すぎる時期は潜象界の気を上手に利用できません(例外もありますが)。

 

ただ、そのためには老いるまでに潜象界の気を感知できるための原初感覚を身につけておかなくてはなりません。

 

だから潜象界を学ぶ必要があるのですが、

 

現象界への固執、無くなっていくものに対する執着、渇愛が捨てられないと、潜象界を感じ取ることができません。

 

するとどうなるのか。

 

現象界では否応なく減り続け、本来なら歳を重ねて増えるはずの潜象界の気が増えずに、苦しむことになります。

 

なぜ苦しむのかと言うと、

 

自然の理に反しているから。

 

陰陽マークのように循環するのが自然の理であるならば、現象界に執着せず、

 

潜象界への入り口を目指す必要があるのではないでしょうか。

 

ところで、今年の春の話です。

 

6年間ほど、望診の応用方法について検証していた件があったんですが、

ついに・・・断念するに至りました。

 

うまくいったら、みなさんにプレゼントしようと思っていたのですが・・残念!

 

でまあ、少々落ち込んでいたわけで、次の目標というか、テーマはまだ決めていません。

 

さて。6年分の検証記録となると、事細かに書き込んでいたわけではないので、初期のころの記録をみても「なにをやろうとしていたのか、わからない!」

 

思い出せない、いや、笑うしかない。

 

でも師匠もこんなことを言っていたんです。

 

師匠の昔の診療記録ノートを見て、私が「これはどういう目的だったんですか?」と聞くと

昔すぎて覚えてない、なにかやろうとしてたんだろうね、と。

 

おーっ!一緒だ!

 

師匠を超えたか?ってことはないですね。

 

ただ、もう1歩、先に進みたいと思っています。

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当ブログの「望診」について

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当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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