望診講座123 「経穴の反応点としてのプラス点、マイナス点とは」

目安時間4分

下記のようなご質問をいただきました。

 

(質問)

 

例えば腕がダルい時

なんとなくここだな(前腕部のある一点)と思う箇所を押すと、芯にくる痛み(響き)があり、結果腕が楽になります。

 

足の疲れであれば

ふくらはぎのある一点や、アキレス健を強めにつまんだりすると同様の響きがあり、結果足が楽になります。

 

腰の痛みであれば、大臀筋のあたりの箇所です。

下手に腕や足の全体を揉みほぐしたりするよりも、その一点の指圧のほうが効果を感じることが多々あります。

 

これは自身の体のみではなく、他人の痛み・ダルさの訴えであっても、おそらくここを押せば響きがあって楽になるだろうなと思う箇所を押すと、「あーそれそれ。痛いけど気持ちいい。楽になった。」となります。

 

ちなみに私はまだ、指先で気を感じ取ることもできなければ、望診もできません。

ただ、なんとなくです。

 

これは、印知・望診のできるレベルに到達していないながらも、なんらかの原始感覚が働いているということなのでしょうか。

もしくは、自身の体の楽になった経験(箇所や響きの具合)を他者の体に重ねているだけなのでしょうか。

 

また、その響きのある箇所は東洋医学で言ういわゆる「ツボ」だと思っていたのですが、有川氏でいう「反応点」「プラス点」「マイナス点」のどれにあたるのでしょうか。

 

回答

ご質問ありがとうございます。

 

まず、鍼灸師の間でよく言われることなのですが、ツボには点で存在するツボと面で存在するツボがあると。

 

私から言えば、やはりツボは点で存在していると思っていますが、そのツボがある部位に集中的に10~数10ツボでてくる場合があり、

それを面だと言っているように思っています。

 

もちろん、それを指圧や「はり治療」で施術する場合、その数10個のツボをそれぞれ刺激していくわけで、手間はかかりますね。

 

それとはまったく別に経筋の異常、筋肉の動作不良ともいいますが、

その場合は点の治療よりも、その筋肉(正確には筋肉群)に働きかけたほうが良い場合もあると考えています。

 

それから、押して響きがある、心地よいなどはツボである可能性が高いのは確かですが、必ずしもイコールではないと思っています。

 

試しに、自分の足三里など、押すと痛気持ちいい感じはしますが、気持ちいいにまかせて押しすぎると

逆に具合が悪くなりますし、次の日に脛骨筋が痛くなっていたりしますから。

 

また実際のプラス点、マイナス点は必ずしも心地いい箇所ばかりではありませんし、

有川先生の鍼のポイントは・・・かなり痛かったです、脳天に響くくらい(笑)

 

印知ができなくても、自然と反応点がとれる施術者はいるよ、と有川先生は言われていました。

 

経験からもくるのでしょうし、本人が自覚する、しないに関わらず反応点がとれる治療家の手が作られているのだと思います。

 

なのでパターン治療ではなく、効果がだせる施術ポイントが取れているなら、それはなんらかの原初感覚も働いているはずです。

 

この質問を送っていただいた方は、優秀な方なのでしょう、すでに治療家の手ができている方だと思います。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)、熊坂護先生 (栃木)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html