望診講座58 「慢性痛は玄痛? 脳で感じる痛みについて」

目安時間4分

一般的に3ヶ月以上続く痛みを慢性疼痛と言っています。

 

確かに通常であれば、たいていの怪我や病気は3ヶ月あれば治癒する方向にいきますし、痛みも無くなるか、かなり軽減していなければおかしいのです。

 

歩くことすらままならないぎっくり腰、ヘルニアでも3ヶ月は様子を見ましょうという医師が多いのも、3ヶ月あれば自然治癒力によって治るケースが多いからです。

 

でも3ヶ月どころか半年~数年たってもまだ痛い。同じ症状で同じところが痛い、これは少しおかしいんですね。

 

傷はとっくに治癒している、しかし痛みだけが残っている。

 

後遺症ですよね、とか治っていないんですよねとかいろいろ言われますが、慢性疼痛は脳の勘違い?という説があります。

 

 腰痛は脳の勘違いだった 戸澤洋一著

 腰痛は怒りである 長谷川淳史著
 ヒーリングバックペイン ジョンサーノ著

 

いずれも痛みは脳の勘違い、誤作動であるという内容の本です。

 

有川先生はこのように言われていました。慢性痛になると気滞が患部ではなく、脳の表れている。脳の誤作動なんだと。脳に痛みが刷り込まれているのだと。

脳にでている気滞を消去しないと慢性痛が改善しない例がすくなからずある、ということです。

 

そこで有効になってくるのが頭部の経穴です。一つ一つに意味があり、慢性痛を取るためのツボが散りばめられています。

あらたに頭鍼療法を研究しようかと思いました。

追記

上記記事に対して似たようなコメントを複数いただきました。

 

「とても勉強になります。
頭痛持ちの人は、多いですが、治らないと思い込んでいる人も多いなぁと感じます。精神的なことや性格も関わってそうなので、施術者が信頼してもらえないと難しそうだなと、思ってます。」

 

「頭というか脳が感じているのが慢性の痛みということですよね」

 

「はじめて知りました。慢性の疼痛は根本原因が治っていないからだと思っていましたが、脳で感じる痛みもあるんですね」

などなど。

 

ほんまでっかTV、でしたかね。慢性の痛みは脳で感じているだけのものもある、ということがテーマになって議論されていました(ちらっと見ただけなのですが)。

 

そういえば、有川先生があと数年もすれば、そういったことが当たり前になるよと言われていました。

 

本当にそうなってきているな~と感じた一場面でした。

 

また、このようなコメントもいただいております。

 

「〇〇式頭鍼療法はドクターである〇〇先生が鍼灸のツボなどを知らないのか無視をしてかで独自に造られたようですいろいろありますね」

 

「頭部の経穴に対してはほとんど使用目的がわからず、困っていました」

 

「百会などはやはり経穴すべてが会合する場所なのでしょうか」

 

などなど

 

〇〇式については私は知らないのですが、いまは昔の経絡学説、経穴理論を無視されている先生のほうが圧倒的に多いんです。

 

でも、気滞や反応点がわかるようになると、絶対に無視できない、と実感ともってわかるようになりますよ。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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