経絡は存在しません!? 経絡治療の立場から

目安時間5分

私が目指した目標は経絡と経穴を自在に操り、人体の気をコントロールすることでした。

 

そして、東洋医学を学べばそれができると信じていたんです。

 

ところが、鍼灸学校に入って半年もかからずに最初の現実につきあたります。

 

まず、「気」の定義が無かったのです。

 

いや、あるよ。と言われる方もいるでしょう。

 

確かに、その流派や技芸の中でだけ通用する定義はありました。

 

しかし、自分の流派の外にいくと通用しないのです。

 

つまり世界共通の定義は、いまも存在してないんです。

 

その理由は、気も経絡もあるのか、ないのか証明できていないことにあります。

 

「気」は感じるもの、と先生方は言われます。

しかし、本当に実感をもって感じている先生は、少なくとも私の周りにはいませんでした。

 

当時、所属していた経絡治療の学会の指導の先生に質問したことがあります。

 

「先生は気や経絡を実感されているんですか?どうやったらそれを証明できますか?」

 

先生の答えは、

 

「あるという証明はできない。ただ、あると信じなければ経絡治療は成り立たないよ」

 

それが先生の答えでした。

 

それどころか、鍼灸学校の先生のなかには経絡は「無い」と言い切る方もおられるくらい。

信じなければ存在しないのなら、それは学術論法にも耐ええない、単なる新興宗教ではないですか、とも言われました。

 

当時はその言葉にも反発しました(まだ、気と経絡を信じていたので)。

 

 

 

そこからです。

 

鍼灸、気と経絡の探求を改めてしようと思ったのは。

 

ただ、現時点でも誰も気と経絡の存在を証明も定義もできていません。

 

これは紛れもない事実です。

 

まずはその事実を認識しない限り、経絡信仰から脱することはできないと思います。

 

経絡の正体  ~望診法とは~

 

経絡とは一般的には気の流れるルートであると、説明されています。

 

ですが、そもそも「気」とはなに?というところから疑問ですよね。

 

気も経絡もそれを視覚的に、もしくは数値的に存在を証明されたことは一度もないのですから。

 

つまり、気も経絡もいまだにあるのか、ないのか分からないものなのです。

 

残念ながら、それが現実なのです。

 

ですが、実際に経絡治療など施術に応用されており、私はこの不可思議なものに魅力を感じ鍼灸学校入学以来、気と経絡の正体、それを実感し、使いこなすことを目標としてきました。

 

しかし、現実には気も経絡もその実態は、あるのかないのかさえ不明のものです。

 

当然、使いこなすなんて雲をつかむような話です。

 

ただ、もしその技術を修得できたら、気を感知する技術は一生ものの財産になると思いました。

 

では、気の診断法として望聞問切、体感する方法として気功などさまざまな方法がありますが、それら既存の方法で本当に気や経絡が実感として体感できるでしょうか?

 

私にはどんなに脈診を練習しても、これが気の動きだとはっきりとは感じられませんでした。

 

気や経絡の存在を確かな存在として実感することが、できなかったのです。

 

それでもあきらめきれずに、気功や仙道、中国拳法にまでその気の姿を追い求めました。

 

つづく

 

 研修会風景

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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