望診法講座17 「形態と象徴 ゲーテと緑の自然科学」

目安時間4分

さて、「あるがままに見る」、「想像や思い込みの排除」に関してのご質問です。

 

そのあたりをもう少し詳しくということなのですが、

私が望診修得でもっとも難しく、最後まで苦しんだのが想像や思い込みです。

 

症状があるのだから気滞もあるだろう、

とか健康なんだから気滞などあるはずない、とか。

 

もしくは、こんな症状なんだからこの辺りに気滞があるはず、とか。

 

自分の思念、思い込みがわずかでも入り込むと正しい気滞や経絡が分からなくなってしまいます。

 

対象物(この場合人、患者)を自分と分けずに、あるがままを見る。

 

このあたりの解説は非常に難しいのですが、

た気滞を診るための必須の修得事項でもあります。

 

以下に参考図書を2冊、紹介させていただきます。

 

 


形態と象徴 ゲーテと緑の自然科学 高橋義人著 岩波書店

 

 


真説 陽明学入門 林田明大著 三五館

 

どちらも対象物をあるがままに見る、主体と客体を分けてみない一元論について平易にかかれています。

 

読みやすく、分かりやすいので、おすすめです。

 

経絡は存在するのか?

さて、気(国や医学によってさまざまな呼称がありますが)の存在はいまでも「ある」「ない」の意見にわかれていますが

、実は、経絡や気を扱う鍼灸師でもそうなんです!

 

鍼灸師は2派に分かれています。

 

経絡否定派と経絡の信奉者。

 

信奉者という表現、少しおかしいと思われますか?

 

経絡信奉者の方々に質問したことがあります。

 

気とは何か?経絡とは何か?陰陽五行論とは正しいのか?

 

私が所属していた学術団体の講師の先生方はこの質問には答えられませんでした。

 

そしてこう言われたんです。

「正しいかどうかは別として信じなければ、経絡治療が成り立たないでしょう?」

 

信じるって、ここは宗教団体だったのか!?

 

経絡の存在は今現在の科学では証明できない。

 

だからその存在を「ある」とするならば、信じる他ないんですね。

 

しかし、現象(症例)を集め、分類すると今現在の科学、医学(生理、病理)では説明できない現象があります。

 

説明のつかない現象に対しては、それに対して仮説を立てることが許されるでしょう。

 

その仮説の一つとして経絡、経穴の存在があるんですよね。

 

信じるから存在するわけではないんです。

 

当会では経絡は絶対存在ではなく、説明のつかない現象に対しての仮説として

「経絡の存在」を仮定するという立場をとります。

 

ですから「気とは何か」に対して、明確な答えはだしません。

 

ただ、現象をあるがままの状態でみていきます。

 

すると、気の世界は「ある」としか言いようがなくなりますよ。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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