望診法講座38 「他人の邪気を受けてしまう」

目安時間7分

「人の気に疲れてしまう、経絡治療をすると、悪い気をもらってしまう」という方へ

 

もともと気の感覚は人の本来がもつ原初感覚なので、

なんの訓練も無しにそういう感知能力を持っている方はおられます。

 

ただ、そういう能力の方向性や過敏性が逆に問題になる場合もあります。

 

人の気に疲れてしまう、というコメントもよく聞きます。

経絡治療をしていると、「邪気」を受けてしまうなどというコメントも聞きます。

 

本当にそんなことがあるのでしょうか、あるとしたらどう対処したらよいのでしょうか。

 

今回は他人の気を受けてしまうといった問題を考えてみます。

 

 

さて、気を感知する能力は時間と空間を選ばないので、具体的にいいますと遠隔望診、遠隔治療が可能です。

 

ただ、それは気の感知能力を良い方向に使った場合の話で、悪い方向に使う例がいわゆる「呪詛」です。

 

紙の人型や藁人形を呪う相手とある方法でシンクロさせて、

そこになんらかの気の流れを悪くする手法をかけます(悪化する経穴に五寸釘を打ち込むとか)。

 

良い気の流れにしていくこともできますが、気の流れを逆に悪くすることもできるんですね。

 

で、その場合は悪い気の流れに自分の気の流れをシンクロさせますから、自分にも跳ね返ってくるんです。

 

これが患者の「邪気を受けてしまう」という状態ではないでしょうか。

 

ですから物理的に、邪気などというものが自分の体内に入ってくるわけではないのです。

 

もちろん経絡治療の先生は相手を呪って治療されているわけではないのでしょうが、

相手に必要以上にシンクロさせてしまうと、相手の気の流れの悪さを自分の体の中に再現してしまうんですね。

 

それは自然の流れに逆らう事になりますから、非常に疲れます。

 

はなはだしい場合は自身が病気になってしまいます。

 

そうならないためには、良い気の流れ(自然な気の流れ)を感知し、

悪い気の流れとは距離を置き、シンクロさせないこだと思います。

 

昔の武術家は道場だけではなく、山の中や森の中など、自然の良い気の流れを感知できる場所で修業したのもそういった理由があったのではないでしょうか。

 

山籠もりとは、たんに厳しい環境に身を置くためだけではなく、自然の流れ、という良い気の流れを体感し、自然と一体化するための方法だったと思います。

 

気の流れは=自然の法則

気の流れというのは、別な言い方をすれば自然の法則とも言えます。

 

その視点から見れば、いろいろな応用方法があるとおもうんですね。

 

それこそ、身体操作、自己実現からお金儲けまで。

 

例えば、日本の未来を気の流という視点から見た場合、今後30年間ではそう大きな変化は見られないような気がします。

 

一言でいえば「より良い方向へ成熟する期間」を迎えていると思います。

 

なので高度成長も無い代わりに、極端な低下もないかと。

 

日本が大きく変化するのは少なくとも30年以後のことではないでしょうか。

 

確証はないので、独り言とお考えくださいね(笑)

 

基礎講座と気流診講座の違いはなに?ってことなんですが、基礎講座は有川先生の著書「始原東洋医学」の内容を解説させていただいております。

 

ただ、何度かいわせていただいておりますが、有川先生は望診修得方法についてはなにも残されていないのです。

 

有川先生が天才だったのか、もともと原初感覚が強かったのか、自然にできるようになられたようです。

 

で、私のような凡人には自然修得はとても無理ということで、修得のための練習方法とコツをいろいろ集めて体系化しました。

 

それが気流診講座です。

 

追記 ご質問への回答

「相手からもらっった邪気をうまく払うにはどうしたらよいでしょうか」

 

という内容ですが、まず邪をもらう、という言い方を私はしません。

 

なにか物質的なものを体内に取り込んだような表現になるからです。

 

私は、相手の自然に反する気の流れ(=邪気ということですが)に自分の気の流れをシンクロさせてしまった状態と考えています。

 

つまり、もらった何かを払うのではなく、良くない方向に合わせてしまったベクトルを正常な方向へ戻してやるのが「邪を払う」ということだと考えています。

 

で、どうしたらよいかですが、簡単にいえば自然に触れ合えば良い、ということになります。

 

立禅などで、大木の近くで行うのは自然の良い気(の流)に合わせようとする意味もあると思っています。

 

なので、なるべく良い気を発している木や植物、太陽に触れ合うのが良いと思います。

 

魔除けの札や、石などの器具もそうした意味のもとでつくられたのだと思いますので、

良い器具があれば、そうしたものを利用するのも良いかもしれません。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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