望診講座49 「望診、気と波動の違いは?」

目安時間5分

「気は波動とは違うものですか?」

 

さて、難しい質問ですね。結論から言いますと気と波動は違うと思っています。

 

ただ、それを証明するためには気を定義しなければなりませんが、現時点ではそれができていません。

ですから、正確にはおそらく違うものだろう、としか言えません。

 

波動は定義から言えば、なんらかの媒体(例えば音波なら空気)が必要となります。

 

媒体を必要としないもの(例えば電磁波)もありますが、それらは同時に粒子としても成り立っています。

つまりいずれにしても物質としての性質を持ち合わせていなければなりません。

対して気は、有川先生いわく、少なくとも物質ではない。また、現代物理学(科学)では説明できない現象である、とされています。

 

一例としては気の伝播には、時間と空間の多少に比例しないというものが挙げられます。

そこに気の世界があるとしなければ説明できない現象がある、だから気は存在するであろう、というのが現在の見解です。

 

で、感じる側としてはどうなのかということですが、波動は実感をともなう感覚で感知されると思います。

気はなんらの実感を伴わず、ただ「ある」としか感知されません。

 

そこが違いでしょうか。

 

気と波動の関係、またオーラとの関係、気は霊的なものでしょうかというご質問、こういった質問は多々あるのですが、あるとも言えますし、ないとも言えます。

 

それは現象界と潜象界は基本的に重なり合っているため、先んじて気が動く、またあらゆる現象に気が動くということが考えられるためです。

 

ですが、それはあくまで仮説です。

 

まず「気」というものが解明されておらず、定義もありません。つまり流派、個人によって「気」の定義はさまざまなんですね。

 

でも古代から気を感知できる人たちが、いろいろな現象の説明を残している。その結果できあがったのがさまざまな古典ですが、いずれも数値では表せないものなので、例え話や仮説なんです。

 

で、後世の研究者が仮説と仮説をくっつけて仮説をつくりだしています。

 

だから古典は玉石混合となってしまっているんですね。

 

有川先生が常に厳しく言われたのが、仮説のうえに仮説をつくるな!ということです。

 

説明できない現象に対して仮説を立てることはあることです。でも仮説と仮説を組み合わせると、わけのわからないものになってしまいます。

 

そこが古典解読の要注意点でしょうね。

 

潜象界という気の世界

潜象界とは、現象界の対義語ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。

 

それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

 

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

 

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。

 

ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

 

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

 

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

 

潜象界からの情報はいまのところ、原初感覚を持つ者でしか感知できず、またその気の動きは言葉では表現できないために、感覚を共有することもできません。

 

そのデータもまた共有できないのです。

 

ですから、潜象界そのものが感知する者の主観でしか表現されず、それゆえにいろいろな表現方法が試されました。

 

その結果、摩訶不思議な世界として認識されるに至ったのですが、感知できる者にとっては確かに存在する世界なのです。

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東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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