「電気回路の練習でビリビリしたような感覚を感じます。逆方向に動かしても同様に感じます。これは正しい感覚でしょうか」
という内容ですが、たった数日でなにかを感知するのは、もともと原初感覚に優れた方なのだと思います。
ただ、気の感覚はなんらかの実感をともないません。これは間違いないんですね。
つまり、ビリビリした感じ、ほかにも空気のふわっとした感じとか、磁石の反発する感じとか、そういった感覚は電気の不純物をともなった感覚です。
電気回路は気の感覚と似ているとはいっても気そのものではないので、不純物を含みます。
純粋な気の感覚は実感をともなわず、ただ手が動く、逆方向に動かすと違和感を感じる、なんとなくすっきりとしない、そんな程度にしか感じられません。
でもその練習で得たビリビリする感じは大切にしてください。その感覚の先に純粋な気の感覚がありますから。
追記 過去の記録1
私事ですが、週末に過去の検証データの整理をしまして、するといろいろな資料がでてきたんですが、どういう検証をしていたのかがさっぱり思い出せない資料もあったりしまして、わけのわからない記号が並んでいるだけのものもあるんですね(笑)。
これはなにをやっていたんだろう、と。
で、ふと有川先生の講習会でのことを思い出してしまいました。
有川先生は50年以上も望診の研究をされた方でしたから、昔の資料となるとなんの目的で記録していたかよく思い出せない資料もあったようで、「なにかをやろうとしていたんだろうねぇ」と笑いながらお話しされていましたが。
で、何が言いたいかというと、なにかに打ち込んでいると一つ、二つくらいはオリジナルの練習方法や検証方法くらいは浮かんでくるものかと。
そう言えば他の先生がたも独自の検証方法でいろいろな取り組みをされていたなあと思います。
技には個人差で得意不得意があり、またそれを個性に合わせて突き詰めていくと、誰にも真似できない独自の技へと発展していくのだと思います。
みなさんから独自の気へのアプローチ法が出てくるのを楽しみにしております。
追記 過去の記録2
私の昔のノートから下記のような覚え書きをみつけたので、公開したいと思います。
やっと手の感覚が出来た頃のノートですね。
1、左手に磁石を持ち、その極性に意識を集中し、右手指先はただセンサーとして使用すること。
⇒これは指先に力が入りすぎるとわからなくなる、ということを戒めた注意書きだと思います。
2、場を意識しないこと。当てようとする意識はかえって緊張を生む。
⇒意識だけでも、実際に筋肉の緊張を生み、指先のセンサーが鈍ることを注意したのだと思います。
3、雑念が入り集中できないとき、肉体疲労、精神的疲労があるときは無理に判定をしないこと。
⇒有川先生は体が多少不調でも関係ないと言われましたが、私は体調によって気への感覚が鈍るので、自己の身体操作にはかなり気を使いました。これは人によって違うと思います。
4、身体操作を軽んじない事。正中線を意識し、肩、胸の力を抜き、とらわれを無くすこと。意拳の包の形をとり脱力できていることを確認すること。
⇒3と、かぶりますね。それだけ脱力を重視していました。
5、反応は極めて微弱であり、はっきりしすぎる反応は間違っていることが多い。注意すること。
⇒いまならあたりまえのことなんですが、当時は大発見でした。気の感覚はただそこにある、という感覚のみで形や明確な感覚をともないません。そのことを言いたかったんでしょうね。
6、頭を起こすこと。
⇒姿勢への注意です。集中すると頭がだんだん下がってきて肩に力が入ってくるんですね。そのことへの注意です。
7、正規点より下に対照点をとり、同様に反応をみること。
⇒意味不明です(笑)。今読むと意味がわからない記述もけっこうあり、試行錯誤してたんだな~と思います。
以上です。なにかの参考になればと公開しましたが、みなさんも努力、工夫してみてください。
コメントフォーム