気楽な整体院開業 その3 「四の五の言わずにやりなさい!」


前回の続きから、

 

先生の説明が続きます。

 

そこでの大事なポイントは、自分にとって「これを治したい」という強烈な意思をもてる患者、もしくは症状を治すこと。

 

ここは重要なのでもう一度言うよ。

 

強烈な意思をもって治したいと思う患者か症状を1つだけ治す。

 

それはなぜか、どんな理由があるかは考えてみて。

 

そして、その治療過程を詳細に記録すること。

 

この記録を取るということがとっても大事で、

これによって後日の考察が可能になる。

 

※ただ、後になってわかることですが、ここにはもう一つの重要な意味が隠されていました。

 

また、それに関する資料をできるだけ集めること。

 

1つのことだけに集中すれば、3か月間でもプロなみの知識が得られるからね。

 

 

話は変わるけど、みんな技術を学ぶために整体スクールに行くよね。

 

でもスクールというものは、極論すると理屈や理論を学ぶだけのところだ。

 

それは本を読むのと変わらない。

 

実践はまったく別物で、1つの実践経験はなにものにも勝るんだよ。

 

※これにも、じつは深い意味が隠されていましたが、それもまた後ほど。

 

 

私「それで経験を積んで、整体師になるってことですか?」

 

先生「違う、無理、そんな甘くない」

 

私「・・・」

 

 

ただ、それが1つの経験になることは違いない。

 

それで、例えばその症状が腰椎ヘルニアだったとしよう。

 

それに3か月、半年取り組めばそのことに関してだけは、他の人より圧倒的な知識と経験を得ている。

 

だからこそ、患者はたった1人、たった1つの症状に絞り込む必要があるんだよ。

 

知識ゼロ、経験ゼロなのに2つも、3つもやれるわけがない。

 

 

だから患者は1人だけ。

 

 

とりあえず最低3か月間はその患者だけを診ること。

 

そして自分はすでに整体師だという意志をもつこと。

 

だからなろうと思えば今日、いまからでも整体師だよ。

 

その意志さえあれば。

 

 

ただ、いきなりはプロのようにはいかない。

 

例えば柔道だっていきなり試合はないでしょう?

 

まずは受け身からだ。

 

でも柔道着をまず着て、帯を締める。柔道の黒帯を目指すという意志を示す。

 

整体師もそれと同じだよ。

 

 

たった今から整体師になるという意志を示すこと。

 

 

四の五の言わずに「やる」ことが大事だよ。

 

とりあえず患者を選んでおいで。

 

自然効能系の整体技法といっても種類はたくさんあるから、そのどれを使用するかは選んであげる。

 

あとはそれを施術しながら、その病名について、可能な限り調べること。

 

それをレポートにしてまとめてね。

 

私「・・・やります!」・・・と言ってしまった。

 

 

そこから私の整体師としての大活躍(?)が始まるのです。

 

 

続く


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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)、熊坂護先生 (栃木)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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