なぜ幸せじゃないのか?

目安時間4分

今の日本人は自由に暮らせるお金や時間は手に入れ幸福絶頂、のはずなのですが、国別の幸福度調査ではなぜか今年も下位のほうで、世界第51位でした。

 

もっと別の事がしたいとか、なぜか楽になった気がしない、将来が不安、このような悩みを多くの方が感じているようです。

 

それは何故なのでしょうか。

 

どういう方がそのような悩みを抱えているのかというと、意外な事にすでに成功し、幸福を得ているはずの方が多いとききます。

 

そこでふと思ったことがあります。これはビジネスの世界の話ですが、選択肢が多いほど満足度は下がる、選択肢が少ないほど満足度は上がる、という法則があります。

 

商品は1つにして選択肢がない方が、実はお客さまの満足度はあがるという考え方です。

 

実際に多くの選択肢がある中から商品を選ぶと、他の物にすれば良かったかも、と迷うようになって満足度が下がるという傾向があります。

 

これと同じ事が人生でも起こっているのではないでしょうか。

 

こんな言葉もありますよね、「隣の芝は青くみえる」

 

人生でも、仕事でも、趣味でも、選択肢が多ければ、もしかするとあっちのほうがよかったんじゃないか、自分にはもっと違う道のほうがあっていたんじゃないか、なんて考えだすのかもしれません。

 

でもそれって、「欲望」ですよね。

 

きりがないんじゃないですか。

 

 

がむしゃらになにかに集中していた時は良かったのです。

 

それが受験であっても。

 

ところが、それが成功し、うまくいくようになると、世の中には想像を絶するほどたくさんの選択肢がある事に気づきます。

 

選択肢がなくて、がむしゃらになにかを追いかけている時は迷いがありません。

 

そして、うまく行くようになると、この幸福がいつまで続くのだろう、他に選択肢があったのではないだろうか、などと思ってしまう事が誰にでもあるようなのですね。

 

なぜそうなるかと言うと、落ち着いて冷静になると、人生の様々な選択肢が見えてくるようになるからです。

 

見る余裕がなかったうちは逆に良かったとも言えます。

 

戦後、がむしゃらに突き進んできた日本がいまそのような状態になっているように思えてなりません。

 

では今後どうしたらよいのか、その解決策は一つしかないと言われています。

 

その選択肢を消すわけにはいきませんから、逆に世界にでて、そのたくさんの選択肢を一通り見てくること。

 

そしてその中から、これしかない、と思えるような選択を自らがすること、だそうです。

 

そのためにはまず、世界の現実を正しく見て、正しく判断できる智慧が必要だと思いました。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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