結局、釈迦の手のひらから脱出できなかった孫悟空

目安時間4分

ゲームにはまっている息子を見て思うこと。

 

結局、ゲームというのはどんなに自由度が高いように思えても制作者の意図する範囲からは絶対に抜け出ることはできません。

 

なので、他人の手の上で遊ばせてもらっているに過ぎないと思うのです。

 

釈迦の手から抜け出ることができなかった孫悟空と同じように。

 

だから、息子にはゲームにはまるよりも、自分でなにかを作り出せる人になって欲しいと思っています。

 

もちろん孫悟空のお話とはレベルが違いますよ。

 

孫悟空が釈迦の手のひらから抜け出れなかったのは、どんなに特殊な能力を身に着けようと、どんな技術をもとうとも、生き物は決して「自然」の範囲からは出れないという意味だと思ってますので。

 

ところで、先日NHKの特番で講師の方が、今の子は教科書を読み解く力が無く、そのパートの内容を塾で教えてもらっている、という発言をされていました。

 

私は一瞬意味がわからなかったのです。

 

教科書が理解できないのに、塾はもっと無理なのではないかと思ってしまったんですね。

 

ちなみに国立情報学研究所の研究チームが独自の読解力テストを実施した結果、文章構造が理解できているかを問う設問群で、中学3年の正解率は75%だったそうです。

 

つまり、中学3年の25%が、教科書レベルの基礎的な読解力を身に付けていないということですよね。

 

2つの言い回しの違う文章の違いが分からないんだとか。

 

教科書や新聞記事のレベルの文章を、きちんと理解できない中高生が全体の4分の1もいるのだという事実に驚きました。

 

基礎的な読解力がないと自分の力で学習できないということです。

 

さらには、内容は理解していても、それを文章にしてノートに書き取ることができない、といった子供たちも増えているそうです。

 

知的な遅れはないものの、読み書きが苦手ということで「学習障害」と判断されるケースもあるそうですが、本当に障害なのでしょうか。

 

字が書けない、読めないというだけで、授業についていけず、自信をなくす子どもたちをどう教育するのが課題だと言っていましたが、なにやら空恐ろしい感じがするのは私だけでしょうか。

 

そこでタブレットを導入した授業を進めているという話題に移りましたが、私はそのタブレットでの授業を非常に疑問視しています。

 

結局それは、誰かが作ったシステム、アプリケーションで学び、それを使用する能力を発達させているのですから、自分で創作するという能力が育つのかどうか。

 

誰かが作ったのものではなく、自分でアプリケーションを作り出す能力を育て、それを使って学ぶ能力を育てることが大事ではないかと思います。

 

そこが自分で理解した内容を文章にまとめるという能力にもつながっていくのではないでしょうか。

 

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古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

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