努力だけではダメな理由

目安時間5分

努力だけではうまくなれない!

 

みなさんは、スポーツが上手になるために一生懸命練習していると思います。

でも、練習している割にはなかなか上達しない、ということは多々あります。

これはなぜだと思いますか?

 

答えは「脳と身体の感覚のズレ」です。

身体の動きは脳からの命令によって生まれます。

 

身体の感覚と脳の感覚が一致しているとき、身体は脳の命令通り自由に動いてくれます。

鏡に向かって正面を向いたとき、身体が右にも左にも傾かず、意識せずともきちんと正面を向けている状態の時です。

スポーツをしていて「調子がいい」と感じる時はこの状態にあります。

 

しかし、脳と身体にとってこの状態は当たり前ではないんです。

例えば写真を撮るため並んでいる時、自分では正面を向いているつもりなのに

「ちゃんと正面を向いて。もうちょっと右」

などと言われるような状態。

 

これは、身体の向いている方向と脳の向いている方向のイメージにズレが生じているためです。

この状態のときに一生懸命練習しても、脳のイメージ通り身体は動いてくれないため、なかなかうまくいってくれません。

 

そのため、

指導者からは「重心を下げて」「頭を上げて」「力を抜いて」などいろいろな指示・指導がある。

自分もその指示通り動いているつもり。

 

でも、実際にはできていないので、また注意される。

といったことや、

一生懸命練習している。

 

しかし、身体は脳のイメージ通り動いていない。

なかなか上手になれない。

といったことが起きてしまうんです。

 

そして、この「脳と身体の感覚のズレ」のために、自分では予期していない動きをしてしまい、「ケガ」をしてしまうんです。

努力を結果に結びつけるためには、練習をやったら、やった分だけ上手になるには、「身体と脳の感覚を一致させること」が必要なんです。

 

動かす体、動く体

身体を動かすには脳からの命令が必要です。

 

しかし、脳から命令を出しても、思うように動いてくれないことは良くあります。

(自分ではやっているつもりが他者から見るとできていない、など)
これはなぜでしょうか?

 

脳からの命令が間違っているのでしょうか?

そうではありません。

脳は正しく命令しています。

それではなぜ?

 

答えは、身体のバランスが崩れ、脳からの命令通り動けない状態だからです。

 

スポーツの上手な人、ケガをしない人は余計な力が入っていないんです。

身体の力が入るべきところに入り、抜けるところが抜けている。

 

だから脳が「動きをイメージ」した瞬間に、全身が「脳のイメージ通り」動くんです。

スポーツがあまり上手でない人、ケガをする人は、余計なところに力が入ってしまっている。

すると脳は「手はこう動け」「足はこう動け」とバラバラに命令する。

 

そのため全体の動きにまとまりがなく、「手先・足先」だけの動きになってしまう。

動きに無理・無駄が多いため、練習をしてもなかなか上達せず、動きの負担がケガとなって現れるのです。

 

上手な人、ケガをしない人の身体のイメージは「身体を動かす」のではなく、「身体が動いている」なんです。

 

そうでない人は「身体をうごかして」しまっている。

だから思うように動いてくれない、動けていない。

 

バランスの崩れた身体でいくら練習してもなかなか上手くなれず、ケガをするだけです。

身体のバランスを正常に治し、「身体を動かす」から「身体が動く」に変わってみませんか?

 

ケガをしにくい身体、自分のイメージ通り動く身体を手に入れましょう。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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