整体の施術において、同じような症状に同じように施術しても効果が全く違うのはなぜだろうという疑問が常にありました。
同じ脾虚で脾を補う、脈も良いほうに変化する、ならば症状も良いほうに変化しなければおかしい。
でもそうならない、かなりの個人差があるのはなぜなんだろうという疑問です。
経絡治療の先生方に尋ねると、「個人差だ」「補い方が足りないのだ」「生活習慣を改善しなければ・・・」という回答が返ってきますが、どれも納得いきません。
そこで・・・
いままでの私の施術に足りなかったものとはなんだろうと考えてみました。
いままでは、習った型どおりに施術していました。
けれども治療というものはシステム化、パターン化した時点で死んでいる治療(機械的な)となっているのです。
優れた施術家の弟子にはなぜか優秀で熱心なのに、施術の技量は受け継ぐ事ができなかったという事例が多々あります。
なぜでしょうか?
優秀すぎるがゆえに師の施術方法を分析し、分類しさらに診断治療の方式をシステム化してしまうからではないかと思いました。
頭脳優秀な方というのは学術論法による思考が常ですから、どうしても分析、分類してしまうんでしょうね。
システム化された治療法。それは初学者にとっては非常に理解しやすいものです。
指標があり、修得の段階がわかるからです。
が、しかし・・・
その反面、システム化された治療は治療自体を盲目的にしてしまいます。
これからの鍼灸師、整体師に求められるもの
あなたは生きた治療家になりたいですか?それとも死んだ治療家になりたいですか?(自問自答)
人体は、当たり前ですが生命体であり物質ではないですよね、自然というものは非常に自由度の高いもののはずです。
なのに、パターン治療では、その治療体系のシステム・パターンからはずれたものは治療できない、またそれを疑問視する事もできない。
そんな治療をしていたのではないかと考えました。
いまのあなたは、どちらの治療家か?
と、自分に問いかける。
確かに、勉強会で習ったことを正確に再現できていると思う。
師匠にも技の正確さを褒められたことがある。
ですが、実践の場でそれが生きてくるかどうかはまた別なのだと思います。
優秀な成績で卒業した同級生が現場で優秀な成績を残しているかというと、意外にもそうでもない。
なんでだろうか。
患者は生きた対象であり、一人一人みな違います。
体質もそうだが、筋肉の質も付き方も、全然と言っていいほど違う。
なにより違うのは心、気分、正確。
こちらの言うことを素直に聞いてくれる患者もいれば、まったく聞いていない、右から左の人もいる。
とんでもなく違う解釈をする人もいる。
伝え方も重要なのだと思います。
システム化された技法は美しいが実践ではだめだ。
パターン化された技法は楽だが、だめなのだ。
そして、システム化、パターン化された自分に気づいていないのは、もっとダメなのだろうと思う。
今一度、自分の現在の施術を振り返ろうと考えています。
パターン化していないだろうか?
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