曲がりくねった松の木は痛くないのか?

目安時間7分

曲がりくねった松の木を見ると、この木は腰痛にならないのか、と思う。

 

まあ、松ノ木の悲鳴を聞いたことがないので、痛くはないのだろう。

 

それどころか、その立ち姿には威厳や美しさを感じることがあるくらいだ。

 

そもそも命あるもので真っ直ぐな造形物など殆どない。

 

みなある程度の歪み、ゆらぎを生じながらバランスを取り、成り立っている。

 

とするなら、真っ直ぐに矯正することが良いことか、必ずそうとは限らないのではないか。

 

曲がっているなりに、バランスが取れていることが重要なのではないだろうか。

 

現に、同様な骨盤の歪みを生じていても、痛みがある者とない者の違いはそういう差であろうと思う。

 

そう考えると、矯正不可能な歪み、変形を持つ重症者にも進むべき方向性が見えてくる。

 

脈も同じ、平脈なんて存在しないんです!

経絡治療をされる方は、脈を重視する。

 

そして平脈(すべての部位で強弱のない均一な脈)を目指します。

 

ですが、脈もまた同様だと思う。平脈というのは現実的に存在しない。つまり脈差があるのが正常な姿なのだ。

 

とすれば、一見脾虚にみえてもそうではない場合があり、また一見肝虚に見えてもそうでない場合があるということだ。

 

また、脈差があり、経絡の変動があるように見えても、無い場合もあるということにもなる。

 

つまり骨格の歪みも脈差も腹証も、差があるのが自然な姿ということになる。ではそれが自然な歪みか、異常な歪みかはどこで判別するのか。

 

それが診断学ということになる。

 

猫背になるのは嫌だ~って、そりゃそうですよ

 

高齢の方で腰が曲がるのが嫌だ、猫背になりたくない、と言って姿勢を良くしようと努力されている方がいますね。

 

時々、背中を伸ばして胸をはるようにしているとか、背伸びをしているとか、ぶら下がり健康器を使っているとか。

 

いろいろ努力されているお話は聞きます。

 

でも・・・。

 

おそらくどれもたいした効果は期待できないのではないでしょうか。

 

無理に背中を伸ばしても・・・痛いですよね。

 

がんばって胸をはっても・・・すぐ疲れてしまいますよね。

 

痛みがでるのは、それが不自然な姿勢だからです。

 

つまり、簡単にいうと無理をしている。

 

無理は続きませんし、理にかなっていないということなので、効果も期待できないのです。

 

 

でも、腰を曲げないようにするためには必要じゃないか、と思われるかもしれませんんが、姿勢を良くするというのは本来の自然な姿にするということであって、後天的ななにかを付け加えることではないんですよね。

 

これが筋トレなら別かもしれません。

 

例えば、マラソンにでるための脚力や持久力をつけるというのであれば多少の苦しい努力も必要でしょう。

 

でも、良い姿勢をとるということは「自然な姿勢」でなくては意味がない。

 

疲れてしまったり、痛みを我慢して良い姿勢をとってもダメだと思うんです。

 

では、どうしたらよいのか?

 

良い姿勢を取り戻すためには体のセンサーを正常にもどすのが最善の方法だと思っています。

 

良い姿勢を取り戻すには体の感覚を正常に戻すこと

 

簡単で、かつ一番の基本となるのは「丹田」の意識化です。

 

おなか、おへそよりも下にある丹田と言う場所を意識します。

 

そして、その上に上半身をただ置くように乗せると、体を立てること、腰を入れることが苦痛ではなくなってきます。

 

なぜなら、ただ乗せているだけだからです。

 

それで自然な脱力ができるわけです。

 

 

でも、ただ置きなさいといわれても、それ自体が苦痛だったりします。

 

しかし、丹田が意識化できていて、乗せるという感覚が分かっていれば、なぜ苦痛なのかもわかるはずなんです。

 

ここの関節が歪んでいるからだとか、この筋肉群が緊張しているからだ、とか。

 

そこで、その原因を取り除くようにしてやると、スムーズに乗せることができるようになります。

 

その原因を取り除く方法はもちろん「らくっと整体」で!(笑)

 

 

 

いえいえ、ストレッチなど自分でやれる範囲でも原因は解消できますよ。

 

では丹田の意識化はどうやってするのかということですが、これは一般的に普及している方法としては、やはり呼吸法ではないでしょうか。

 

基本は腹式呼吸、若い方ならヨガ、もしくは仙道の火の呼吸をされてみると意識化しやすいと思います。

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この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

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望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

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潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

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この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

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