潜象整体への道

目安時間5分

そもそも「気」や「経絡」にはなんの興味も無い、というかたも多くおられます。

 

いや、そういう方のほうが多いのでしょう。

 

ですが、気の世界は潜象界といって、現象世界とは表裏一体の別世界です。

 

つまり「気の世界」はこの世の半分なんです。

 

現象界は目で見えている世界。気の世界は潜んで見えない世界。

 

両者は表裏一体の存在で、気の世界を知らないことは片手落ちになるのではないかと考えております。

 

実際に目に見える世界、数値で表せる世界つまり現象界における理屈、理論ではどうしても説明がつかない事象があります。

 

もちろん整体の世界にもです。

 

ですから、その気の世界が感知できると、世界観、治療を変えざるをえません。

 

とくに経絡治療をされている方は、生きた経絡がそのまま見えるわけですから、診断施術に大きな変化をもたらすのではないでしょうか。

 

整体治療をされているかたにとっても気の世界はその治療方法を根底からくつがえすほどの衝撃を与えるかもしれません。

 

気の感知技術、古伝の望診法とは、そういった技術なのです。

 

望診法を知らないということは治療家にとって、どれほどの損失をまねくことか。

 

あまり知られていないことですが、皮膚の色や状態などを見る現代式望診の他に、古伝の望診法が存在します。

 

四診の冒頭にくる古伝望診は、まず「気」の流れに異常があるかどうかを診ます。

 

それが本来あった望診法なのですね。

 

経絡の異常を把握する技術として「望聞問切」がありますが、望診は「望んでこれを知る、これ神」と言われています。

 

その意味を今まで私は、視診だけで経絡の異常を知ることができるのは神技だ、と解釈していました。

 

ですが、おそらく違うのではないでしょうか。

 

現代では「神」といえば、神様仏様ですが、この言葉がつくられた当時は「神」=自然(の気の流れ)そのものでした。

 

つまり現代とでは「神」という漢字のもつ意味が違うのです。

 

ですから「望んで知る、これ神」の意味は「まずは望診で気の流れを把握しましょう」という意味だと思うようになりました。

 

東洋医学の四診とはもともと気の異常を判断するための診察法です。

 

であるなら、最初に経絡や気の異常を把握する手順としての気を見る望診ありきなのです。

 

そして望診で気の流れを把握した後に次のステップとして、

 

(体の声を)聞いてみましょう、

 

(どんな施術が必要か)問うてみましょう、

 

(具体的な施術箇所の確認のため)切(触って)してみましょう、

 

と続くのではないでしょうか。

 

それが望聞問切ではないでしょうか。

 

四診は四つで一つの一連の流れであってどれが欠けても成り立ちません。

 

ただし、それは古代の四診であって現代の四診ではありません。

 

古代の四診、気や経絡の動きをダイレクトに実感をもって感知する技術としては現段階ではこの方法以外にないのではないかと思っています。

 

気とはなにか?経絡とはなにか?

 

その正体に迫るには、それらを実体として感知する能力が絶対的に必要です。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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