遠藤喨及氏のタオ指圧について

目安時間6分

まずは質問への回答をさせていただきます。

 

(質問)

この度の受講者通信に「気の階層」の話があったので

これを機に、以前より気になっていたことを質問させていただきます。

気流診を知るずっと前になりますが

「気」の勉強に、経絡治療の増永静人氏・遠藤喨及氏の書籍をよく参考にしておりました。

「気」は見えないものだけに、本当に見えているのかどうかわからない怪しげな物が多い中、このお二人の内容は、自分の「気」の考え方に近く、信じれると思えたからです。

ただ、そのお二人の気の概念「気を感じる・見る・捉える」には

有川貞清氏の言うような「反応点をはさむプラス・マイナスがある」といった概念は書かれておりません。

 

また、遠藤喨及氏が言うには

想像力のはたらきの重要性は、経絡や気の世界を認識する上においても同様である。

比較的浅いレベルで経絡を見ている時は、その認識共感性が主体である。

 

しかし、さらに深いレベルで経絡を見る時は、むしろ想像力が主体である。

気の世界においては想像することと存在することが一致するのである。

物質の世界では、想像することと存在することが、ある意味では別のことである。

時間をかければ一致してくるが。

しかし、気の世界では、これが即時に表裏一体である。

すなわち気の世界においては、想像できないことは存在しない。

気と経絡は共感とイメージによって見える。

否、それ以外の認識方法はないのである。

という、「気を感じる・見る・捉える」には想像力が不可欠。

のような内容の文章がいくつもみられるのですが

 

これも、有川貞清氏の言う

「想像の削除」とは逆の内容となります。

ただ、逆の内容なのに

遠藤喨及氏の言うことも、有川貞清氏の言うことも

なんとなく理解できますし、どちらも正しいように思えます。

 

◯気を見る・感じるのに「プラス・マイナス」の有無

◯気を見る・感じるのに「想像力」の有無

など、それぞれの違いがあるのは、これも「気の階層」となるのでしょうか。

長文失礼しました。

※ 決して「どっちかが間違っているんでしょ。」といった意味ではありません。

 

(回答)

こんにちは。お返事おそくなりすみませんでした。

 

これは私の個人的な見解なのですが、

 

私は両者とも同じことを言っているのだと解釈しています。

 

有川先生の想像の削除というのは、空想の削除という意味です。つまり、ありもしない経絡、経穴を自分の思い込みや、

昔の教科書に書いてあるからという妄信や、イメージで作り出すことを否定されているのです。

 

では、有川先生が捉えた気の感覚はどんなものかと言うと、

それは「表現できない」の一言で、「ただ、ある、としか言えない」とも付け加えられていました。

 

つまり、五感や現象界の感覚で表現しきれないものなので、それをあえて表現しようすると

想像、イメージするしかありません。

 

矛盾したことを言っているようですが、ありもしないものを空想で作り上げるのと、

原初感覚で「ある」と実感しているものを、なんらかの自己イメージにつなげるのとでは、まったく違います。

 

気の階層とは、純粋な気が少しずつ実体に変化していくにしたがって、例えば脈に現れるようになると、

それは比較的浅い階層ということになり、他者との共通認識が可能。それは五感でとらえられるようになっている階層だからです。

 

でも深いところだと、違う。と、私は考えています。

なので、有川先生も遠藤先生も同じことを言われているのだと。

 

遠藤先生は著書のなかでこのように述べています。

「相手の生命に共感するには、自我意識を低下させて原始感覚を立ち上がらせる必要がある」

 

この記述は有川先生の始原東洋医学とまったく同じです。

 

 

次にプラス点、マイナス点の考え方ですが、

 

基本的にプラス点が強刺激を必要とする「治療点」。

タオ指圧においても、このプラス点に対しては強指圧されていると思います。

実際にタオ指圧を受けに行ったことがあるのですが、それはもう、痛かったです(笑)。同じポイントを10分以上、ぐりぐりされました。

 

で、マイナス点は弱刺激、ここに対しては、タオ指圧でもちゃんと弱刺激で対応されているはずです。

すべての指圧点をぐりぐりはしていないはず。

 

つまり、施術体系の違いであって、ちゃんと強刺激、弱刺激の使い分けはしていて、

それで経絡の流れを作っているはずです。

 

私はその点も同じだと考えています。

 

でもこれは、あくまで私の私見なので。

気の世界は五感で表現できないだけに、空理空論がまかり通っていますし、

空想、妄想に近いイメージが先行しがちです。

 

なので、自分の原初感覚を頼りに進んでいこうと思ってます。

 

 岡田講師の施術風景

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3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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