
鍼の施術をしていると身体に「スジ」が浮き出てくることがあります。
この現象は鍼灸の臨床をある程度経験された鍼灸師さんなら大抵の方が経験されているのではないでしょうか。
それを古代の医師たちは「経絡」と命名したのだと思われています。
ただ、ほとんどの場合その経絡を五感で感知することはできません。
それを感知するには、経絡を感知することができる「五感以外の特殊な感覚」が必要 です。
その特殊な感覚を用いて、身体に現れるスジをなぞって鍼灸経絡治療を施術します。
鹿児島の医師であった有川貞清先生は、この感覚の存在を知ったこ とで、東洋医学に対して全く新しい解釈を持つよ うになりました。
「気や経絡」という言葉は東洋医学関係者はもちろん、最近では一般の方にも認知されるようになりましたが、じつはその存在を証明することは誰もできていません。
そういう意味では我々の勉強会でおこなっている望診も気や経絡も虚構の世界であると言わざるを得ません。
施術者には、気や経絡は本当に存在するのか?という疑問が常に存在します。
この問題に対しては、現代の東洋医学界でも賛否両論があり、共通の見解は出されていません。
つまり、気や経絡は存在するのか、しないのか、それすら現時点では結論はでていないということになります。
科学的な研究をはじめとして、さまざまな方法が試みられていますが、不明のままなのです。
ここで言う科学的な方法というのは学術論法にのっとって正しい認識ができるという意味です。
信じられている、昔からある、真理である、などで説明していくのではなく、
確実な、また客観的に同一性、再現性がある現象を説明できることが科学的であるということです。
つまり、事実である「観察したある現象」から何らかの同一性を導き出し、また普遍的な再現性がある、その現象を説明するという思考です。
当然、西洋医学は、科学的思考に基づいているので、現象の説明に必要となる現象はすべて実体として捉えられていますし、再現性もまたしかりです。
東洋医学は、その何らかの同一性が、証明可能な実体ではなく、「信じられている古典」に記述されている東洋哲学の概念に基づいているため、客観的事実としての証明ができないのです。
また、基本理論とされている「陰陽五行論」なども、東洋哲学に基づいた架空の理論です。
したがって、東洋医学は現時点では「空理空論」の域を出ることができないでいるのです。
そこで疑問です。いったい東洋医学の古典は何を根拠にして書かれたのでしょう?
おそらく医療としての技術体系、理論体系が整う以前の原初的治療行為が行われた時代まで遡る必要があるかと考えられます。
現在の考古学、人類の起源の研究によると我々現代人以外にも人類は存在していましたが、現在まで生き残れたのは我々ホモサピエンスのみ。
そして他の人類との大きな違いは感覚の共有にあったとする説があります。
他の哺乳動物と比べて弱者であった人類は集団で行動するという選択をしました。
しかし、それも他者との思考や感覚を共有できるというある意味特殊な能力があったからこそできた選択でした。
その感覚は他者の痛みや苦しみも理解するという能力にもつながります。
そして、その能力によって他者を癒すという行為につながるのですが、それが原初の医療行為であったと推測されます。
それは最初、祈り、祈祷という行為から始まり、まじないなどの呪術的行為に発展していったのでしょう。
それが洋の東西を問わない、医療の起源だと考えられます。
ただ、東洋においてはその共有感覚と自然則を感知する身体の原初感覚によって他者のなんらかの異常個所を発見する方法につなげていったのではないかと考えています。
その発見したものを体系化したものが「経絡」ではないかと。
しかし、それらすべてが事実であるとは言い難く、その「なにか」はおそらくこういうものだろうという仮説や推論をごちゃまぜにして無理やり統合して作られたのがいわゆる「古典」なのではないでしょうか。
我々は、その中から確かな、再現性のある事実を抜き出してこなければならないと考えております。
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