私が目指した目標は経絡と経穴を自在に操り、人体の気をコントロールすることでした。
そして、東洋医学を学べばそれができると信じていたんです。
ところが、鍼灸学校に入って半年もかからずに最初の現実につきあたります。
まず、「気」の定義が無かったのです。
いや、あるよ。と言われる方もいるでしょう。
確かに、その流派や技芸の中でだけ通用する定義はありました。
しかし、自分の流派の外にいくと通用しないのです。
つまり世界共通の定義は、いまも存在してないんです。
その理由は、気も経絡もあるのか、ないのか証明できていないことにあります。
「気」は感じるもの、と先生方は言われます。
しかし、本当に実感をもって感じている先生は、少なくとも私の周りにはいませんでした。
当時、所属していた経絡治療の学会の指導の先生に質問したことがあります。
「先生は気や経絡を実感されているんですか?どうやったらそれを証明できますか?」
先生の答えは、
「あるという証明はできない。ただ、あると信じなければ経絡治療は成り立たないよ」
それが先生の答えでした。
それどころか、鍼灸学校の先生のなかには経絡は「無い」と言い切る方もおられるくらい。
信じなければ存在しないのなら、それは学術論法にも耐ええない、単なる新興宗教ではないですか、とも言われました。
当時はその言葉にも反発しました(まだ、気と経絡を信じていたので)。
そこからです。
鍼灸、気と経絡の探求を改めてしようと思ったのは。
ただ、現時点でも誰も気と経絡の存在を証明も定義もできていません。
これは紛れもない事実です。
まずはその事実を認識しない限り、経絡信仰から脱することはできないと思います。
経絡の正体 ~望診法とは~
経絡とは一般的には気の流れるルートであると、説明されています。
ですが、そもそも「気」とはなに?というところから疑問ですよね。
気も経絡もそれを視覚的に、もしくは数値的に存在を証明されたことは一度もないのですから。
つまり、気も経絡もいまだにあるのか、ないのか分からないものなのです。
残念ながら、それが現実なのです。
ですが、実際に経絡治療など施術に応用されており、私はこの不可思議なものに魅力を感じ鍼灸学校入学以来、気と経絡の正体、それを実感し、使いこなすことを目標としてきました。
しかし、現実には気も経絡もその実態は、あるのかないのかさえ不明のものです。
当然、使いこなすなんて雲をつかむような話です。
ただ、もしその技術を修得できたら、気を感知する技術は一生ものの財産になると思いました。
では、気の診断法として望聞問切、体感する方法として気功などさまざまな方法がありますが、それら既存の方法で本当に気や経絡が実感として体感できるでしょうか?
私にはどんなに脈診を練習しても、これが気の動きだとはっきりとは感じられませんでした。
気や経絡の存在を確かな存在として実感することが、できなかったのです。
それでもあきらめきれずに、気功や仙道、中国拳法にまでその気の姿を追い求めました。
つづく
研修会風景
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