望診法講座136 「固くなった筋肉を伸ばす方法」

目安時間5分

いくつか似たような質問をいただいております。

 

1、筋肉の緊張を痛みなくとり、伸びるようにするにはどのような手技がよいでしょうか?

2、固まりのような筋肉に対して、鍼治療以外で対応するにはどのようにしたらよいでしょうか。いまのところ軽擦くらいしかしておりません。

 

3、50代女性(臼蓋形成不全)と70代女性(レントゲン上異常なし)の二人の片方の膝が90度以上曲がりません。四頭筋の横引きや膝蓋骨周辺をじっくりほぐしているのですが効果はなく、膝が錆びた金属のように硬いままです。良い方法はあるでしょうか。

 

上記のご質問に対して、ヒントとなるかどうかわかりませんが1つ、筋肉は伸びませんよ。

 

筋肉の機能は緊張と伸長、ではなく、緊張と弛緩です。

 

つまり縮んで、それが緩むことはあっても伸びることはないんです。

 

ではなぜ緊張したままなのか?

 

それは緊張しなければならない理由があるからです。

 

血圧が理由あって上がるのと同じです。例えば末梢血流が悪くなっているので血圧をあげて血流を促している、などですね。

 

では、筋肉が緊張したままになる理由はなんでしょうか。

 

一番多く見られるのは局所の脆弱化による補強といった理由です。

 

 

わかりやすく言うと、怪我をした部位を補うために筋肉が固くなって補強しているんですね。

それが慢性化したものもあります。

 

理由はさまざまですが、極論すると脳がそれを命じているということです。

 

解決のヒントになりましたでしょうか。

 

雑記 「凧は天高く飛び、夕暮れに土に帰る」

誰の言葉かは忘れましたが、意味するところは常に原点、中庸に戻ってくることの大切さを言っているのだと思います。

 

そんなことは分かっているつもりでも、それに夢中になったり、真剣に取り組んでいるうちに忘れてしまいます。

 

本人も気づかないうちに。

 

勉強も同じなんですよね。

 

私も経絡や気滞の勉強を中心にしておりますが、現象界は現実に住んでいる世界であり、そのことは決して無視できません。

 

具体的に言えば現代医学、問題点は多々あるのでしょうが、やはり医学の王道であることに違いなく、潜象界という世界(経絡や気滞)にあまりにはまり込んでしまうのは危険だと思っています。

 

たとえば、居心地がよいから勉強になる、は間違った方向に進んでいる可能性があります。

 

それは違う、やりたくない、といった方向に本当の答えがあることも多いのです。

 

効果がすばらしい、これは間違いない!も逆に間違った方向に進んでいる可能性があります。

 

万能の治療法なんて、それこそ絶対にないのですから。

 

もちろん経絡の勉強に真剣に取り組むのは良いことだと思いっていますが、常に中庸に戻る努力もしないと、気づかないうちに間違った方向にいってしまうことがあると思ってください。

 

本当の道に進むって、苦しいことなんだと思います。でもその苦しさを苦痛と感じないほど真剣に取り組めたら、本当の道をみつけたことになるのだと思います。

 

偉そうなことを書いてすみません。

 

自分の失敗からの、心からの忠告です。

 

ではまた。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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