望診講座108 「鍼灸真髄 沢田健著を読んで」

目安時間6分

この本は鍼灸を目指すきっかけとなった思いで深い本です。

 

一気に読み、また繰り返し読みましたが、なぜか臨床には役立ちませんでした。

 

なぜかと言いますと、澤田流鍼灸術は、まずは澤田先生の手指のようにすぐれた指頭感覚があるということが前提としてあるからです。

 

いわゆる「治療家の手」です。

 

澤田先生は腹診を重視されたようです。

まず、丹田(関元付近)の虚実を伺い、また予後の判断も丹田の気の充実ではかったようですね。

 

沢田先生の診断即治療、そして灸をどれだけすえるかは、先ず丹田を探り、治療方針を決め、実際に灸をすえてみて、その変化に柔軟に対応していたのであろうと思われます。

澤田先生はかなりの観察眼であったから、一壮一壮の変化も見て取ったのでしょう。

 

澤田先生いわく、「自然と手が出るので、置こうと思って置くのではなく、無心、無我、経絡との関係はどのこうのと考えることなしに自然と手がそこにゆくのです」

この記述などはまるで始原東洋医学ではありあませんか。

 

腹診を重視した鍼灸術に無分流というのがあります。

 

無分流は腹部だけで治療を行おうとした革新的な治療であり、日本鍼灸、また湯液の腹診に大きな影響を与えた流派です。

 

また私個人的には澤田流と非常に似ている鍼灸術だと感じています。

 

無分流もまた「本来自我にしたがって、さらさらと鍼をせよ」とあり、細かい術式は説明が無い。説明を詳しくしすぎると、間違いとなる、ゆえに説明できない、と。

 

無分流はまず丹田に火曳きの鍼という軽い鍼をはじめにするのであるが、この手応えにより、予後を判断したといいます。

丹田の虚実を診るのは沢田先生とよく似ています。

 

違うのは、沢田先生は丹田を診断点としたのに対し、無分流はそこに第一鍼をして、それを診断点であり、治療点としたことでしょう。

どちらがよいかは、単純に比較できませんし、優れた指頭感覚で判断しているとことは同じですから。

 

澤田先生が無分流を学んでいたかどうかはわかりませんが、腹診を非常に重視し、気の動向を探っていたのは間違いないだろうと思います。

そして無分流もまた指頭感覚を非常に重視する流派であります。

 

また指頭感覚で熱や冷えを追ってゆく記述が頻繁に出てきます。

始原東洋医学でいう切経にも似ているのではないでしょうか。

 

まわりのお弟子さんたちが先生と同じように手をかざしても熱も冷えもさっぱりわからなかったと記述されているのは、それが実熱ではなく気滞?であったのではないかと思っています。

 

どちらにしても、その手の感覚なしには澤田流鍼灸術は修得も実践も不可能なもので、それこそ有川先生が言われていた、「印知感覚がすべて」というのに似ていると思います。

 

また、私は柔道整復師でもありますが、この本には東洋医学、鍼灸、そういうものを超えた体の捉え方、整体論があるのです。

 

猫背はどこかが引き攣る為に曲がるのだから、灸をするとだんだん背中が伸びてくる、下腹に力が入らないと体は曲がるので、力が入る様にしてやれば曲がりは治っていくと言われています。

 

そして、驚く事に、後ろに反り過ぎている人にも、お灸をすえると、重心が前に移動した事が書かれています。

 

澤田先生自身、柔道整復師でもありましたし、整復の技術も相当のものだったようですから、気の動きを調整することで、整体、整復に大きな影響を与える、またそれだけでも矯正してしまえるという内容は非常に興味を惹かれる部分でもありました。

 

沢田先生は脊柱に手を当て、胸を支えて脊柱をして伸展させる方法をされていたそうですが、スジが引き攣れたまま矯正すると、反って悪くなるので、上腹部の巨闕・鳩尾・上かんなどのツボへのお灸にて、腹部の引き攣れを緩ませてから矯正すると、楽に矯正ができると書かれています。

 

非常に興味深い記述です。

 

東洋医学の理論に基づく鍼灸治療をされている先生が、整体の考えに見向きもしない、また整体を極めた先生が鍼灸を否定されている事が多い中、核心はひとつであり、沢田先生は、本当の意味で体を極められていたと思うのです。

 

それこそ気の動きがわかれば、手技はなんでもよい、ということなのではないでしょうか。

 

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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