望診講座109 「始原東洋医学 有川貞清著」

目安時間5分

有川先生と私の望診法の違い

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私の望診法は有川先生から学んだものに間違いありません。また、望診技術のレベルでは有川先生にはまだ遠く及ばないことも自覚しています。

 

では、有川先生と私との違いは何かといいますと、まず大きく違うのが有川先生は姿勢や体調に関してはとくに注意されなかった点です。

私はとくに姿勢、脱力を重視しています。

 

有川先生がそれを注意されなかったのは自然にできていたからだと考えています。最初から出来ている方は、それを問題意識できません。あたりまえだと思っているからです。

 

ですが、私のように「できない」人間にとっては、とても重要なことなんです。

 

さて、良い姿勢で脱力できている状態とは、自身と重力の関係性が良好であるということです。私はそれを重力との対話であると思っています。

 

自己の身体の重さを感じ取り、重力との対話の中で、微小な差異を感じ取り、最も脱力できている状態にもっていくことです。

 

重力とはもっとも身近な自然であり、気の具現化した法則の一つであろうと思っています。

 

またそのことが有川先生とのもう一つの違いにもなっています。

有川先生が身体内における気滞、気の動きを細分化し見極めていこうとされたのに対して、私は気の世界の広がりがどこまで大きいのか、どこまで応用ができるのかを探りたいと考えています。

 

ですから、私の気の研究対象は身体だけにとどまりません。

 

さて、有川先生と私が違うようにみなさんと私も違います。

 

正規受講者の方にお渡ししているテキスト、動画のなかでの解説は私が「つまづいた」ところの解説でもあります。

 

ですから、みなさんが「できない」「わからない」部分とは違うかもしれません。

 

だから、質問してください、と言っているのです。あなたが「つまづいているところ」はどこでしょうか。それを一緒に考えるのが、正規受講の最大のメリットです。

 

そしてあなたなりの望診術を完成させてください。

 

補足

私の望診法は有川先生から学んだものに間違いありません。

 

そして有川先生のレベルには遠く及ばないことも自覚しています。

 

ただ、古流望診のこと、始原東洋医学のことを知識として得たいだけなら私のメルマガなど読まなくても、有川先生の残された著書を読んで終わりにしたほうが良いとおもいます。

 

でも、あえて気流診講座を受講する必要とはなにか。なにが違うのか?

 

有川先生と私の違いはなにかというと、有川先生なら出来て当たり前のことが、できていない、というところが最大の違いです。

 

まあ私が凡人だからなんですが、そこが強みでもあるんですよね。

 

なぜそんなことが強みなんだと思われるでしょう。

 

具体的に言うと、有川先生は姿勢や体調については「そんなことは関係ない」と言い切られており、その著書でもそれに関する記述はまったくありません。

 

ですが、私はうまく脱力することが必要と常に行っているように、姿勢を重視しています。

 

有川先生にとっては脱力などできていて当たり前だったのでしょう。

 

ですが、私のレベルでは「そんな事」でつまづいていたのです。

 

おそらく、その「つまづく」ポイントは一人一人違うのではないでしょうか。

 

このメルマガ読者さんからの質問を読まさていただくと、私が「えっ!そんなことで?」と思うような簡単なレベルのところでつまづいていたり、逆に私が苦労して突破したレベルを簡単に理解されていたりします。

 

つまり、その人によってポイントは違うのです。

 

ですから、「ここがわからない」というところがあったら、気軽に質問してみてください。

 

そこを突破するための方法を一緒に考えさせていただきますから。

 

一人熟考することも大切ですが、解決の糸口を相談することで得るというのも良い方法ですよ。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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