望診法講座19 「望診と視診の違いは明確」

目安時間4分

本日はご質問に対する回答です。

 

質問

視覚に頼らない、ということですが、では完全に目を閉じて望診したほうがよいのでしょうか?

 

回答

それは目の前に対象物(患者)があったとしても、遠隔望診と同じになってしまいますので、

より難度が高くなってしまいます。

 

遠隔望診の難しさは目の前に対象がいないので、対象が患者(人)であれば、

人型を想像しながら望診しなければなりません。

 

ですが、望診にはイメージや想像の排除が不可欠ですので、

相反することしなければいけないわけです。

 

ですから目を閉じての望診はイメージしつつ、

それにとらわれないという難しさがあります。

 

なので、視覚で対象をとらえたまま、望診していただければ良いのですが、

コツとしては焦点を合せない、遠くを見るようにただ見る、

という感じで望診していただくと良いかと思います。

 

視覚に頼るとどうしても目で見ようとします。でもそれ(気滞)は目では見えませんので、

つい目を凝らしてしまい、肩によけいな力が入ります。

 

それがいけないのです

 

望診を行うときの注意点

望診における最重要注意事項です。

 

1、望診は胸の感覚で感知します。視覚ではありません。

 

2、あるがままに見ることが重要です。胸の感覚といいましたが、胸のみに偏らず、

対象物(この場合は患者さん)に偏らず、視覚に偏らず、あるがままを見ます。

 

3、気滞がある場合と無い場合があります。症状がある、ないとは別です。

思い込み、想像を排除するために1回ごとに感覚を素に戻すことが大切です。

 

4、はっきりとした差異が感知できない場合は無理に結論を急がないことです。

急ぐと想像が入り込み、間違います。

 

たったこれだけのことですが、以上のことが事実かつ、

重要なコツであることを確認するために5年かかっています。

 

ひとつ、ひとつ、意味をよく理解してください。

 

症状を考えずに診察するのですか、という質問をよくいただきますが、

 

正規受講者の方には動画のなかでも詳しく解説させていただいているので、

ご理解されているかと思うのですが、

気滞をみるにあたって、症状、病態を考慮しないのではありません。

 

気滞が原因とならない症状もあるということです。

 

なので、症状があるから必ず経絡の変動もあるだろう、という思い込みを捨てなければ、

いつまでたっても経絡変動の把握は修得できません。脈診も同じです。

 

気滞や経絡変動が原因となっていない症状はいくらもあります。

 

とくに自然治癒力が正常に機能しているうちは、気滞は現れにくいです。

 

なので、その症状が気滞が原因となるものなのか、他の原因かを鑑別するためにも思い込みは排除して、

素の状態で望診をしなければならないのです。

 

気滞は言い換えてみれば、自然治癒力の阻害が発生機転とも言えます。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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