望診講座118 「アトピー性皮膚炎の症例」

目安時間4分

まずはご質問への回答です。

 

(質問)

今望診で悩んでおりまして、それは10人程の写真で

それぞれ気滞を感知したと思っていたところ、吟味すると

磁石の+でも-でも感知してしまうのです。

 

ということは、すべて経筋だったということになりますよね。

 

けれど、まだ初心者なので修練不足なのかと迷っております。

 

添付した講座の動画ですが確か、陰気滞の除去として進められた授業だったと

思いますが、私はこれも陰陽感知してしまいます。

 

ご教授のほどよろしくお願いします。

 

(回答)

これは私の症例なのですが、50歳男性で、主訴は腰痛。

さて、その原因はというと、背中の表面の筋肉の軽い炎症。これは陰気滞として感知されます。

でもその奥の原因。それは深部筋肉である、腰方形筋のコリ。

 

これが機能していないから、表面の筋肉に負荷がかかりすぎて炎症を起こすんですね。

で、これは陽気滞として感知されるんです。

その感知される部位としては、ほぼ同じ位置の腰です。

でも大きさ、強さが違う。

 

で、その場合どちらが先かといいますと、炎症をとってから、深部筋肉を緩める施術をしました。

動画の女性の場合も同じで、奥に原因となる陽気滞があるのですが、表面のアトピーは炎症で陰気滞としてでてくる。

 

なので、ほぼ同部位に両方の気滞を感知するのです。

こういうケースもあるということです。

 

皮膚炎の症例

先ほどのメールの実例というわけではありませんが、皮膚炎の症例を1つ。場所は背中、左肩甲骨の下あたり。

 

赤い点と青い点に挟まれているところが皮膚炎の場所で、現在皮膚科でステロイド治療をしているが1か月経過してもおもわしくないとのこと。

 

気滞は感知できなかったんですが、切診で治療点はとれました。プラスの赤い点(こちらが頭側です)とマイナスの青い点で示したところがそうです。

 

1回目でかなり炎症がひいて、痒みが治まったそうで、これは著効を示した例となりました。

 

よく経絡治療初心者の方が、炎症を起こしている境目は正気と邪気の争っているところだから、周りにぐるっと鍼をすると言っていますが、それは間違いです。

 

同じように鍼をすると流れができずに、塞いでしまうことになります。

 

 

追記 皮膚炎はけっこう適応となるケースが多い

皮膚炎に関しては、アトピーも含めて気滞としてとらえられなくても反応点はとらえられるケースが多く見受けられます。

 

またお灸が奏効するケースも多いです(経験上)。

 

ただ上記のように反応点としてプラス点とマイナス点を取り違えると、炎症が悪化するケースもありますから要注意です。

 

 

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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