歳をとると、本当に偉くなるのか?
50歳になって思うことは、歳をとったからといって、落ち着きがでてくるわけでもなく、知恵がつくわけでもなく、偉くもなっていないということです。
子供のころに見た大人というのは無条件で「出来た人」「偉い人」でした。
でも、自分がなってみると違いますよね。
自分だけかと思うのですが、周りの友人もみな同じことを言います。
出来た人になったのではなく、単にうまく立ち振る舞う方法を学んだだけ。
知恵がついたのではなく、少々の知識が増えただけ。
偉くなったのではなく、仕事をまかされ、お金をもっているというだけ。
ただ、それだけなのです。
ではさらに20年後、30年後、歳をとって得るものってなんでしょうか。
まわりのお年寄りをみていると、とても辛そうにしている方が多い。
介護され、痴呆を発症し、または寝たきりになるひともいます。
歳をとって、いいことなんて、なにもないのかもしれません。
歳をとることは減っていくことを受け入れること
歳をとると、出来ることがだんだん減っていきます。
軟骨も減り身長も減っていきます。
無くなっていくのです。
なにが?と言われれば、それは生まれたときに持って出たエネルギーでしょう。
それが尽きると、死を迎えるわけですが、それまではただ減り続けます。
それを受け入れることができれば「枯れた人」にはなれるでしょう。
でも受け入れられずに、
例えば、死というものは単なる日常なのに、受け入れられずに常に「生」に固執し、死を受け入れない。
それを仏教では渇愛と言いました。
受け入れることができなければ、それは苦しみにしかなりません。
なので、出来ないことが増えていく、出来ることが減っていくことをまず受け入れましょう。
そこから第1歩が始まります。
減っていくことで増えていくこと
なら、歳をとっていいことなんて何もないのか、というと1つだけあるのです。
陰陽マークを覚えていますか?
この陰陽の円は循環しています。
上にいくと極陽、下にいくと真っ黒になり極陰といいますが、
よく見ると一方が減ると、もう一方が増えています。
なら、これを人の一生に当てはめるとどうなのでしょうか。
生まれて持っているエネルギーは現象界におけるエネルギーです。
それが減ると増えていくのが潜象界の「気」のエネルギーです。
いや、正確に言うと、現象界からの影響が減っていくことで、
潜象界へのアクセスがしやすくなると言ったほうがいいかもしれません。
荒々しい、現象界での活動力が減り、精微な潜象界での活動領域が増えていきます。
名人芸、達人芸というのはこういうところから生まれてくるのだと思います。
現象界からの影響が強すぎる時期は潜象界の気を上手に利用できません(例外もありますが)。
ただ、そのためには老いるまでに潜象界の気を感知できるための原初感覚を身につけておかなくてはなりません。
だから潜象界を学ぶ必要があるのですが、
現象界への固執、無くなっていくものに対する執着、渇愛が捨てられないと、潜象界を感じ取ることができません。
するとどうなるのか。
現象界では否応なく減り続け、本来なら歳を重ねて増えるはずの潜象界の気が増えずに、苦しむことになります。
なぜ苦しむのかと言うと、
自然の理に反しているから。
陰陽マークのように循環するのが自然の理であるならば、現象界に執着せず、
潜象界への入り口を目指す必要があるのではないでしょうか。
ところで、今年の春の話です。
6年間ほど、望診の応用方法について検証していた件があったんですが、
ついに・・・断念するに至りました。
うまくいったら、みなさんにプレゼントしようと思っていたのですが・・残念!
でまあ、少々落ち込んでいたわけで、次の目標というか、テーマはまだ決めていません。
さて。6年分の検証記録となると、事細かに書き込んでいたわけではないので、初期のころの記録をみても「なにをやろうとしていたのか、わからない!」
思い出せない、いや、笑うしかない。
でも師匠もこんなことを言っていたんです。
師匠の昔の診療記録ノートを見て、私が「これはどういう目的だったんですか?」と聞くと
昔すぎて覚えてない、なにかやろうとしてたんだろうね、と。
おーっ!一緒だ!
師匠を超えたか?ってことはないですね。
ただ、もう1歩、先に進みたいと思っています。
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