今日、図書館へいきまして、1日じっくりといろいろな本を読んだのですが、その中の1冊に整体の片山先生の著書がありました。
で、興味深い内容だったのでシェアさせていただきますね。
人は胸(だん中)で情報を受け取る、というものです。
確かに東洋医学の経穴学から言うと、だん中という経穴は感受性のツボでありまして、免疫機能のからみからアトピーやアレルギー疾患、それから精神疾患の判断、治療の主要なツボともなっています。
別な言い方をすれば著書で言われている通り、外界からの情報に対して強い感受性をもち、情報感知のツボともいえます。
どうしてこんなことを言うのかといいますと、気滞の判断も胸で感知するからなんですね。
眉間ではダメなのか?下腹部(丹田)ではダメなのか?という質問もいくつかありましたし、自分でも試してみましたが、やはり胸でないとだめなんです。
これは有川先生も明言されておりました。
追記 前回記事に批判殺到!
前回の記事( 望診講座60 「治るってどういうことなんだろう?」 )に対しては、けっこうご批判のメールもいただきました。
「それは自分のことでしょうか?」「うちの流派のことをいっているのでしょうか?」みたいな感じで。
特定の方に対しての記事ではなかったのですが・・・。
というわけで、付け加えます(いや、繰り返しになりますが)
東洋医学というのは実践医学でして、例えば黒い箱があって、側面にスイッチがついている、それを押すと上から水がでる。何度繰り返しても水がでる。それはわかっているので、それを利用しよう、というのが東洋医学。
ただ、その黒い箱の中身は完全なブラックボックス状態。しくみはいっさいわかっていない。
ではいまある東洋医学の学説はなんなのか?というと全部仮説なんです(すべてと言っても過言ではないくらい)。
仮説と空論でなりたっているのが現在の東洋医学。
ただ、しくみがわからない現象に対して仮説を立てることは、学術的にダメな事ではない。
だからそれは良いんですが、それを真実、実際にあるものとして扱うと間違いが生じます。その仮説どうしを組み合わせて、トンデモ論がでてくることになります。
そこに注意しましょうね、というのが有川先生のご指導でした。
どっぷり東洋医学、脈診至上主義だった私がそのことを本当に理解するまで、だいぶ時間がかかり、かなりの遠回りをしてしまいました。
みなさんには時間を無駄にして欲しくないので、繰り返し同じことを言っているわけです。
では、いましている勉強(鍼灸や東洋医学の)は無駄なのか、しない方が良いのか?という話ではありません。
現象としては確かなので、東洋医学は実践医学として十分通用する医学です。
でもその理論がまだ不明なので玉石混合しているのは間違いなく、ありのまま、真実を見極めるためにはなにが必要かをよく考えてみて下さい、ということです。
ではまた。
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