望診講座95 「気流診とは」

目安時間4分

我々の気流診講習会は故・有川貞清先生の創始された始原東洋医学における望診術の勉強会の一つです。

 

勉強会は鹿児島、京都、東京、金沢(気流診)でそれぞれ行われておりましたが、有川先生がお亡くなりになり、一部の勉強会は休止中となっております。(現況は把握しておりません)

 

気流診は自己の原初的感知力をもって、気滞を感知し、気滞の解消をもって病気を治癒に導くことを目的にしております。

 

気滞とは、病気のときに人体が発する信号の一種で、それを感知する方法は、人による感応力である、ということで、古代の望診術はこのようであったのではないか、という理由から気の望診法として練習されてきました。

 

気流診という名称ですが、最初は気を診るということで、単純に気診と呼んでいたのですが、他に気診なる勉強会が存在するようでしたので、区別するために気流診としました。

 

気滞解消の方法ですが、それは各先生方の習得された技術によります。指圧、整体、鍼灸、漢方薬、その他、やり方はさまざまです。

 

気滞は明確な指標の一つとなり得ます。

 

ですから、気滞が感知できるようになると、いままで修得されてきた技術がさらに生かされるのではないかと考えています。

 

ただ、気流診における気滞は通常の東洋医学用語の「気滞」とは定義が異なります。

 

また、それが気である、とも断言できません。なぜなら、気の世界はいまだ未知の領域であり、気の定義もまだ明確でないからです。

 

ですが、我々はこの方法が気の世界の解明の一助になると思い、日々研鑽努力しているのです。

 

時々、どのくらい練習したらできるようになりますか?とったたぐいの質問がくるのですが、まず、あなたが目指すレベルにもよるんですよね。

 

ちなみに実践応用するのならば、あなたが目指すべきレベルは、武道に例えるなら最低でも二段位レベルでなければなりません。

 

どんな武道も大体同じなのですが、初段はその名のとおり初級レベルに到達した状態。

 

二段でその武道をやったと言えるレベル。

 

三段は指導者レベルです。

 

なので、とりあえず二段ということになるのですが、では、たとえば空手なら、どれくらい練習したら二段に昇段できるのか、ということを考えたら、気の感覚もどれくらいの努力が必要かなんとなくわかっていただけるのではないでしょうか。

 

1日10分、3か月でできるようになると思いますか?

 

じつは、1日3~4時間の練習で、約3か月で気の感覚を習得した先生はいましたが、それは特例級の上達速度だと思います。

 

では、私はというと、5年かかっています。もちろんほぼ毎日数時間練習しての話です。

 

そんなに難しいのか!と思った方、それは違います。武道に限らず、どんな施術技法であれ、それくらいの習得期間と努力は必要です。

 

逆に1週間や1か月で習得できるような技法なんて、底の浅い技法でしかないのではありませんか。

 

習得には努力が必要ですが、できるようになれば、その努力に見合うだけの、まったく違う世界観があなたを待っていますから、それを楽しみに練習してください。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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