古代に存在した望診とは
古伝の望診法は視覚に頼らず、人が本来もっている原初感覚によって感知するものとしています。
そこで、視覚に頼らない、古伝の望診法についてご質問をいただきました。
(質問)
視覚に頼らない、ということですが、では完全に目を閉じて望診したほうがよいのでしょうか?
(回答)
その場合は目の前に対象物(患者)があったとしても、遠隔望診と同じになってしまいますので、より難度が高くなってしまいます。
遠隔望診の難しさは目の前に対象がいないので、対象が患者(人)であれば、人型を想像しながら望診しなければなりません。
ですが、望診にはイメージや想像の排除が不可欠ですので、相反することしなければいけないわけです。
ですから目を閉じての望診はイメージしつつ、それにとらわれないという難しさがあります。
なので、視覚で対象をとらえたまま、望診していただければ良いのですが、コツとしては焦点を合せない、遠くを見るようにただ見る、という感じで望診していただくと良いかと思います。
視覚に頼るとどうしても目で見ようとします。
でもそれ(気滞)は目では見えませんので、つい目を凝らしてしまい、肩によけいな力が入ります。
それがいけないのです。
このあるがままを見る、というのが実は簡単で難しい。
本当はどんな人にも見えている(感知できている)はずなんです。
ですが、その情報を自らがシャットアウトしている。
見ている世界が同じでも、受け取る情報は取捨選択していますから、実はその情報を受け取っているにもかかわらず、自分で見えなくしている。
望診とは、その情報の受け取り方を変えていく技術だともいえます。
そのためには自らの自然への関わり方を変えていかなければならないのだと思います。
潜象界からの情報
よく、古伝の望診法は潜象界からの情報だと言われています。
ですが、潜象界そのものもまた、定義がないのです。
現象界(物質、目で見える世界)と相反する世界が潜象界(気の世界)だと言われていますが、そもそも「相反」する世界なのでしょうか。
逆に「包括」する世界、2つで一つの世界であるという意見もあります。
私は後者派なのですが、それを証明することはできませんので、断定するのはやめようと思っています。
ここで、断定してしまえば、まったくの空理空論となってしまうからです。
確証が得られるまで、研究を続けようと思います。
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