次のようなコメントをいただいております。
「リラクゼーションのバイトを始め、ようやく1ヶ月…人の体を触るのもまだまだです。
私自身がムチウチ等、体はボロボロで無理が続くと歯痛と胸焼け、頭痛に苦しみます。
1ヶ月、無理な態勢をとったら仕事続けるのが辛くなると思い必死だったのですが、先日一瞬、胸焼けと歯痛に襲われました。今はもちこたえております。
何が言いたいのかと申しますと、自分の体の使い方、お客様の体に集中することにより気を感知出来るようになるのでしょうか?何も分からずごめんなさい。」
回答ですが、
とても興味深い質問です。またとっても良い質問だと思います。
有川先生は気の感知のための特別な訓練をしたわけではなく、患者を診るということに集中した結果、気を感知できるようになりました。
また有川先生はご自身の体の使い方についてはなにも語られていませんが、私は自身の体の使い方は重要だと思っております。
一言でいうと「脱力」です。
自身の体が不自然な状態(疲れるからだの使い方)では気の感知能力は落ちると思っております。
なので、その方向性であっていると思いますし、とてもよい事だと思います。そのまま頑張ってください。
ご自身の体の状態を感知する(重心の位置、骨、筋の使い方)ことはとても大切、かつ勉強になることですよ。
リラクゼーションからの解放
紹介させていただいたコメントを読ませていただいて、自分なりの考えをを回答させていただきたいと思います。
悟った人とそうでない人の違いって、じつはそんなにないんじゃないかと思ってるんですね。
ちょっと極端かもしれませんが、「迷い」が少ないのが悟った人、知識や情報に振り回されて迷いに迷う人が普通の人という感じでしょうか。
何と言っても、どちらも同じ現実世界に生きているわけですからね。
ただ、迷うか迷わないかと言うのは、単たる洞察力や判断力の違いというのではなく、「大きな目に見えない流れ」に沿っているかどうかを判断する能力があるかどうか。
この「流れ」に沿っているかどうかは瞬間的に判断できるものですから普通の人からは迷いが無い様に見える。
達人いわく、この「流れ」に逆らったらどんなテクニックを駆使しても勝てないよ、と。
その「流れ」がいわゆる気の世界のベクトルかと考えています。
で、その流れを掴む方法ですが、それは潜象界からも、じつは現象界からもアプローチできるんですね。
現実世界の技を極めていっても、気の世界にたどり着くのだと思います。
実際に有川先生がそうでしたから。
ただ、その能力、気の感知能力のことを有川先生は「印知」と造語で呼びました。
これは通常の感覚、感知とは違う、別な表現が必要だと言われました。
このメルマガの中でも気の「感知」と言っておりますが、じつは少々違和感があるのは確かです。
実際、なにかを感じているのとは少し違うのですから。
この違いは気の感覚を得た人にしか分からない微妙な表現だと思います。
その感じかたは、やはり共有というよりは共感なんですね。
なので不立文字の世界なのだと、思っております。
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