望診法講座22 「筋肉のコリと気滞」

目安時間4分

患者さんは筋肉のコリをあまりに簡単に考えすぎています。

 

ほとんどの関節の痛みは筋肉のコリから始まり、それが強度になると関節の歪みを発生します。

 

つまり関節の歪みは筋肉のコリとも言えるんです。

 

微弱刺激の経絡治療や軽いマッサージでも関節矯正ができるのは、もともと歪みの原因が筋肉だからです。

 

でもこれ考えてみれば、当たり前なんですよね。骨と骨をつないでいるのは筋肉なんですから。

 

また、筋肉の動作不良からも痛みを発します。

 

つまり、機能障害です。物理的な障害ではないので、当然レントゲンにはなにも写りません。

 

患者さんもよく言いますよね、「レントゲンではなにも異常ないって言われたんですけど」って(笑)

 

夜も眠れないくらいの激痛を発する四十肩も極論すれば筋肉のコリと機能障害ですよね。

 

それと、高齢者の関節の痛みで思う事は、絶対的な筋肉量が足りない方がみられます。

 

そういう方は、まず筋トレをしないと痛みはとれません。

 

少し古い話ですが、金さん銀さんも筋トレしていたことは有名な話です。

 

絶対的な筋肉量が保てていないと、日常動作でもかなりの負荷となり、関節に痛みを生じます。

 

なにもしてないのに・・・と患者さんは言われますが、

日常動作に耐えられないくらい、筋肉量が足りていない場合があるんですね。

 

もちろん、それにも機能障害(動作不良)が伴います。

 

あと、筋肉の重要な機能として筋ポンプ作用があります。

 

血液や体液の循環を助けているんですね。

 

だから、筋肉のコリや機能障害があると体内水分(血液等)の循環不良となり、

季節の変動についていけなくなったり、慢性的な冷え、疲労を感じるようになります。

 

そのあたりの認識を改めていただく必要があると思いますが、いかがでしょうか。

 

筋肉のコリ(緊張)と望診

(質問)

気滞の望診と経筋、骨格の望診とは違うのでしょうか?

 

(回答)

じつは違います。

 

気や気滞は「なんとなく、あるのを感じる」という感じ方です。

 

経筋、骨の歪みはある程度はっきりとした形として感知されます。

 

なので、両者は最初間違えやすいですね。

 

でも使い分けると、気滞はないけど歪みがあるのでマッサージでほぐしておこう、

とか、歪みが目立つけど、その奥の原因として気滞があるので、まず経絡の調整を、という施術の組み立てができるようになります。

 

見分け方は、

気滞・・・そこにある、という感じ方。はっきりとした形としては感知しない。

 

経筋・骨の歪み・・・はっきりとした形を感じる、複数の関節をまたぐようなラインとして感じる

 

という違いで見分けますが、最終的には意念の投入の仕方で区別します。

 

つまり、気滞を感知するという意識を持つか、

経筋を感知するという意識を持つかの違いです。

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当ブログの「望診」について

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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