さて、突然ですが、みなさん歩けますか?
普通に歩けるよっていう方のほうが多いと思います。
でも1歩に30秒くらいかけて、ゆっくり歩いてくださいというと、たいていの方は
体がギシギシ、ふらふらとなるんですよね。
ゆ~っくり歩いても、重心が安定して歩ける方って以外と少ないです。
なんの話かといいますと、「気を見る」条件として、体の安定と脱力と前からいっておりますが、
その訓練方法の一つとして、ゆっくり歩く、そこで体がギシギシいわないようにスムーズに、
ふらふらしないように、重心を安定させて、という練習です。
もともとは中国拳法の練習(歩法)で習ったものです。
太極拳のゆっくりとした動作は、ゆっくり動く中で体の重心を安定させ、
脱力する訓練の意味が含まれているんですね(私が習ったのは太極拳ではありませんが)。
そこまで本格的にする必要はありませんが、まずゆっくり歩いてみて
、体の重心の移動をスムーズにさせてみてください。
その中で脱力、肩の力を抜く、という練習をしましょう。
正座法や座禅は苦手、という方への動的練習法でした。
ぜひ実践してみてください。
とても伝えづらい気の感覚について
望診の核心部分でもあるにも関わらず、とっても伝えづらいことを書きます。
その前によくこういう質問をいただきます。
望診は第7のチャクラ(眉間のところ)で見るのではないのですか?
霊的な物とつながるのは、第7のチャクラですよね。
といった質問です。
望診は言い方を変えれば、対象物(患者)と一体化して見ます。
対象物と観察者を分けない、一元論的な観察(診察)方法です。
感覚的には視覚を通して相手を見ながらも、感じ取るのは胸の感覚です。
ですkが、胸の感覚にとらわれ過ぎると間違います。
見るのはあくまで、対象物(患者)そのものです。
また一切のイメージ、想像を排除してあるがままを見ないと、
これもまた間違いの原因となります。
その修得方法の補助として禅や瞑想、武術的な修練は有効な方法となると思いますが、
それにとらわれ過ぎるとまた間違います。
チャクラもその一つです。第7のチャクラやオーラにこだわることも。
あるがままを、一体化してみる、対象物と自己を分けない、
難しいですが、それが一言で言えるコツです。
古流整体「見の技法」について
差異を感じ取る能力を高めることが望診、または見の技法に通じることになると考えています。
ただ、漠然と見ていても分かりません。
なにか1つ、注意深く観察することです。
私が最も参考にしている書籍の一つ、
「原初生命体としての人間」(野口三千三著)には、
「運動能力が高いということは、その動きに必要な差異を自分の体の中に自由に作り出せることである」
と書かれています。
自由に差異を作り出せるとは、その前に「差異」を感じ取る能力が養われなくてはならないと思っています。
ですから、通常では気付かない差異を感じ取る練習をしましょうということになるのです。
有川先生がレントゲン像を細かく観察し、模写したように。
桜井章一会長(雀鬼会)が日常に何気ないことに注意を払う練習を勧めているように。
もちろんそれだけではないでしょうが、日ごろからなにかしら微小な差異を感じ取る練習をしていると、それが望診(もしくは見の技法)修得のための基礎訓練になったりします。
コメントフォーム