望診法講座21 「歩行禅」

目安時間5分

さて、突然ですが、みなさん歩けますか?

 

普通に歩けるよっていう方のほうが多いと思います。

 

でも1歩に30秒くらいかけて、ゆっくり歩いてくださいというと、たいていの方は

体がギシギシ、ふらふらとなるんですよね。

 

ゆ~っくり歩いても、重心が安定して歩ける方って以外と少ないです。

 

なんの話かといいますと、「気を見る」条件として、体の安定と脱力と前からいっておりますが、

その訓練方法の一つとして、ゆっくり歩く、そこで体がギシギシいわないようにスムーズに、

ふらふらしないように、重心を安定させて、という練習です。

 

もともとは中国拳法の練習(歩法)で習ったものです。

 

太極拳のゆっくりとした動作は、ゆっくり動く中で体の重心を安定させ、

脱力する訓練の意味が含まれているんですね(私が習ったのは太極拳ではありませんが)。

 

そこまで本格的にする必要はありませんが、まずゆっくり歩いてみて

、体の重心の移動をスムーズにさせてみてください。

 

その中で脱力、肩の力を抜く、という練習をしましょう。

 

正座法や座禅は苦手、という方への動的練習法でした。

 

ぜひ実践してみてください。

 

とても伝えづらい気の感覚について

望診の核心部分でもあるにも関わらず、とっても伝えづらいことを書きます。

 

その前によくこういう質問をいただきます。

 

望診は第7のチャクラ(眉間のところ)で見るのではないのですか?

 

霊的な物とつながるのは、第7のチャクラですよね。

 

といった質問です。

 

望診は言い方を変えれば、対象物(患者)と一体化して見ます。

 

対象物と観察者を分けない、一元論的な観察(診察)方法です。

 

感覚的には視覚を通して相手を見ながらも、感じ取るのは胸の感覚です。

 

ですkが、胸の感覚にとらわれ過ぎると間違います。

 

見るのはあくまで、対象物(患者)そのものです。

 

また一切のイメージ、想像を排除してあるがままを見ないと、

これもまた間違いの原因となります。

 

その修得方法の補助として禅や瞑想、武術的な修練は有効な方法となると思いますが、

それにとらわれ過ぎるとまた間違います。

 

チャクラもその一つです。第7のチャクラやオーラにこだわることも。

 

あるがままを、一体化してみる、対象物と自己を分けない、

難しいですが、それが一言で言えるコツです。

 

古流整体「見の技法」について

差異を感じ取る能力を高めることが望診、または見の技法に通じることになると考えています。

 

ただ、漠然と見ていても分かりません。

 

なにか1つ、注意深く観察することです。

 

私が最も参考にしている書籍の一つ、

 

「原初生命体としての人間」(野口三千三著)には、

 

「運動能力が高いということは、その動きに必要な差異を自分の体の中に自由に作り出せることである」

 

と書かれています。

 

自由に差異を作り出せるとは、その前に「差異」を感じ取る能力が養われなくてはならないと思っています。

 

ですから、通常では気付かない差異を感じ取る練習をしましょうということになるのです。

 

有川先生がレントゲン像を細かく観察し、模写したように。

 

桜井章一会長(雀鬼会)が日常に何気ないことに注意を払う練習を勧めているように。

 

もちろんそれだけではないでしょうが、日ごろからなにかしら微小な差異を感じ取る練習をしていると、それが望診(もしくは見の技法)修得のための基礎訓練になったりします。

 

 

 

 

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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