望診法講座29 「望診に失敗した例」

目安時間4分

正規受講者の方は当然ご理解されていることと思いますが、気滞には陽気滞と陰気滞があります。

 

この判別には磁石の+、-や手の形などを使いますが、それはあくまで補助です。

 

メインは「意念」なんです。

 

例えば、陽の気滞を判別する、という明確な意念をもち、意識を集中しないと気滞も感知できませんし、

陽か陰かの判別も難しくなってしまいます。

 

慣れてくると、そのあたりをあいまいにしてしまって、陰陽の判別を間違えたりします(私もよくありました)。

 

陽気滞なんだけど、なんか反応が薄いなと感じたら、意念と集中をやりなおしてみて下さい。案外、陰気滞だったりしますよ。

 

少しできるようになってきた頃にに多い失敗ですね。

 

さて、気流診の修得って特別な人しかできないんじゃないですか、というご質問をいただいています。

 

答え、そんなことはありません。

 

気の感知能力は人間がもともと持っている原初感覚によるものです。

 

ですから、それは新たに能力を獲得するというのではなく、使わなくなった、眠っている感覚を呼び起こす、ということです。

 

なので、修得レベルには差があるかもしれませんが、基本的に気滞の感知は誰にでもできます。

 

もともと、備わっている能力なんですから。

 

その練習をやるか、やらないかですね。

 

実際に、正規受講者の方の中には半年ですでに感知能力を獲得したかたもおられます。

 

あまり気負わずにやってみてください。

 

気の感覚は原初感覚によるものか?

上記記事に対して、質問をいただきました。

 

「気の感知能力が人本来の原初感覚による能力なら、

訓練なしでもできるということでしょうか?」というご質問です。

 

答えは「イエス」ですね。

 

ただ、現代の人はその能力をほとんど使っておりません。

 

なので、その感覚自体が退化してしまって、発現できていないというところではないでしょうか。

 

ですが、本来備わっている能力なので、訓練なしで自然にできている方もおられると思います。

 

有名な方ではエドガー・ケイシーさんなんかもそうじゃないですかね。

 

鍼灸師の方の中にも脈診や腹診といった触覚による観察ではなく、原初感覚で気をちゃんと感知されているなと思う先生がおられます。

 

ですから、この気の感知能力は基本的に誰でも修得可能です。

 

もちろん、その修得期間には個人差があります。

 

過去の例からいうと最短で3カ月、通常で1~3年といったところではないでしょうか。

 

ただ、その方が学ばれていたことによって感知レベルが違うように思います。

 

たとえば整体をされていた方はどうしても経絡の気よりも筋骨格系の歪みを先に感知される傾向があります。

 

あまり気負わずに練習してください。必ずできますので。

 

ではまた。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html