望診法講座28 「気滞の位置と治療点の相関関係」

目安時間6分

こんな質問をいただきました。

 

「気滞の場所によって、反応点(治療点)のでる場所も決まっているのでしょうか?パターンはありますか?」

 

このお考えは非常にまずいです。危険です。

 

まず気の世界は多種多様であって、多く見られる方向性はありますが、定型パターンは1つとしてありません。

 

なので、毎回、新しい発見がある、というような心構えで望まないと、思い込みが入り込み、結果、間違えます。

 

よくよくご注意を。

 

私もこんな経験がありました。

 

ある気滞に対して、某経絡治療学会の定型施術パターンどおりの(反応点)取穴ができたんです。

 

その時は喜びました、これで経絡治療がマスターできる!と。

 

でもその取穴ができたのは、その時を含めて数回程度。

 

あとは似たような取穴はできても、毎回、まったく違うんですね。

 

無理に定型パターンに当てはめようとすると、結果が思わしくありません。

 

経絡の世界は多く見られる方向性を出現率の高い順でまとめてあるものと思われます。

 

その代表的なものが正経十二経図なのでしょうが、奇経、経別など、側副路は無数にあり、

その人、その時の症状により活性化する経絡は、その時々で無数に変化するものと思われます。

 

ですから、経絡図もあくまで出現率が高いというだけです。

 

治療点も同様です。毎回初めて望むという気持ちで取り組んでください。

 

でもこんな質問がでてくるのは、みなさんの学習がだいぶ進んだ証拠ですね(笑)

 

既存の経穴との違い

上記記事について、ご質問をいただきました。

 

「すると、現存の経絡図は間違いなのですか?」というご質問ですが、

そこまで極端な話ではありません。

 

経絡図はもっとも代表的なルート、道路に例えれば幹線道路を表しています。

 

ただ、実際には経絡には道路よりはるかに多くの側副路が、それこそ無数に走っており、

その時の症状によっては経絡図どおりの経絡反応が起きることの方が少ない様に思います。

 

ですから、その時、その人、その症状によって多種多様な姿を見せる、とご説明いたしました。

 

なので経絡治療であれ、整体であれ、その施術パターンを定型化することは無理です。

 

それを昔の医者は「さじ加減」と表現しました。

 

それから気滞の望診については「見える」か「見えない」かのどちらかです。

 

初級とか上級とかありません。

 

基礎はマスターしたとか、そういうのもありません。

 

できるか、できないか、全か無かのどちらかです。

 

ぜひ、「見える」側に来てください(笑)

 

別世界が待っていますよ。

 

気や経絡はインチキか?

じつは、厳しいご意見もいただいております。

 

まとめていいますと

「気滞や経絡は結局、存在しない、インチキなんじゃないのですか?」

ということです。

 

確かに、見えない人には「ない」のと同じですものね。

 

さて創始者の有川先生は外科医ということもあり、

学術的に思考するということを非常に厳しく指導された先生でした。

 

つまり、想像や仮定の話を一切排除して、確認(再現性のあるもののみ)された事実を記録されていきました。

 

そうしてつくられたのが、この望診法です。そして気滞は存在し、経絡もまた存在する、

でないと今観察されている現象に説明がつかない、と言われました。

 

老子の言葉ですが、「道の道と可すべきは道にあらず」というのがあります。

 

「気」で言い換えるなら、これが気だと説明できるものは気ではない、と言えます。

 

つまり気滞も経絡も感じとっていただくしかなく、言葉で説明しようとすると、どうしても例え話にしかなりません。

 

「気」は見せることもできず、数値で表すこともできず、明確に言葉で表現することもできません。

 

ですが、確かに、存在します。

 

道はつくってあります。あなたもぜひ、気の観察者になってください。

 

本日は以上です。ありがとうございました。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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