望診法講座33 「気感を得るための身体操作の重要性」

目安時間5分

望診の精度を上げていくには自己の身体操作がどうしても必要です。

 

一言でいえば、「力を抜く」ということです。前回も書きましたが、

本当の意味でそれができれば、達人級です(笑)。

 

この脱力法を一律に指導できない理由としては、

力を抜くポイントが、個人差があるからなんですね。

 

だからこればかりは自得しなければなりません。

 

私の場合は首の全面と肩関節に近い部位の胸筋でしょうか。

 

望診前にはそのあたりを意識して力を抜くようにしています。

 

そのための練習ですが、それはヨガでも太極拳でもそれこそなんでもよいかと思います。私の場合は意拳と立禅でした。

 

座禅でも良いです。座禅を組んでしばらくすると体のあちこちが痛くなってきますが、

そこが力が入っている箇所ですから、その強張りを解消できるように訓練していくのです。

 

固い床(フローリングなど)に大の字で寝る、というだけでも良いです。

 

しばらくすると体が痛くなってくると思いますが、力が抜けていると、固い床の上でも大の字のまま熟睡してしまいます。

 

骨盤の位置、背骨の傾き、肩の位置などひとつひとつチェックして、修正していきます。それが身体操作です。

 

さて、力が抜ければ達人だと言いましたが、それは極論で、

初歩の段階でもある程度、力が抜けていないと始まらない、ということも言えるんですね。

 

鍼を持つ手も、静圧の手も、指圧も肩の力が抜けていないと、患者に違和感を与えてしまいます。

 

いきなり達人級は無理としても、最低限度の脱力はできていないとだめなように思います。

 

身体操作の参考書

身体操作について、参考になる本や実際の講習会などあったら教えて欲しいとメールをいただきました。

 

以下、参考書籍です。いずれも必須といっていいほどおすすめです。

 

古伝望診法の唯一の教科書、創始者有川先生の著書です。

始原東洋医学 有川貞清

 

感性で捉えるとはどういうことか、が参考になる本です。

最強の言葉 桜井章一

 

韓氏意拳の論理を説いた書籍

武学探究 甲野善紀 光岡英稔

 

現代座禅講義 藤田 一照

 

陽明学入門  林田明大

 

言わずと知れた名著

原初生命体としての人間 野口三十三

 

まだまだたくさんありますが、おいおいご紹介させていただきます。

 

講習会についてはそれぞれの書籍を読んで、自分に合いそうなものを選んだら良いかと思います。

 

ちなみに私は全参加しています。

 

桜井章一氏の雀鬼会で麻雀もしてきましたよ(笑)

 

雀鬼会では、とにかくスピードについていくのがやっとでした。

 

考える間もないくらいにスピードをあげ、また数をこなすことで余計な考えや力みを排除して感性を研いでいくのですね。

 

だから数稽古というのはけっして根性論だけの非効率的な練習方法ではないということです。

 

その対極にあるのがゆっくり動く太極拳や意拳でしょうか。

 

ゆっくりとした動作の中で自分の体や思考と対峙するのですよね。

 

その極みが座禅です。

 

でも目指すところは同じで、力み(体や思考から)をとっていくことで

原初感覚を目覚めさせることだと思っています。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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