望診法講座41 「白隠禅師 軟酥(なんそ)の法」

目安時間4分

以前にお伝えしたことでもありますが、純粋な気滞とは、なにかそこにある、

という感じで色や形をともなうものではありません、と言いました。

 

それについてのご質問がいくつか来てますが、やはり区別がつかない、わからないといった内容が多いです。

 

さてそういったことで迷われている方は、気と物質(実体)と二極にはっきりと区別しなくてもよいのではとも考えています。

 

気の世界である潜象界と現象界は別々に存在するのではなく、

潜象界が現象界を包括しているので気と実体との境目を厳密に区別することは難しいからです。

 

東洋医学的に言えば、血や水、肉(筋肉)の動きにも気の動きをともないますから、

色や形をともなう気滞(のようなもの)はより物質化した気の現象ともいえるからです。

 

それはそれで異常と感知されているわけですから、調整すればよい、ということになります。

 

ただ、純粋な気滞と違ってアプローチの方法は変える必要があるかと。

 

筋骨の異常なら接触鍼による経絡治療より、整体にる矯正のほうが手っ取り早いこともあります。

 

昔の経絡治療家は矯正が必要と思われるところにはガツンと矯正をいれ、

その後経絡の異常が残っていれば経絡治療を施したものです。

 

ただひたすらに、やっているうちに区別がついてくるかと思いますよ。

 

あとは手加減匙加減というやつですね。

 

白隠禅師 軟酥(なんそ)の法

 

ふと思ったことを書きます。最初にお断りしておきますが、まったくの検討違いかもしれませんので、軽くききながしてください。

 

遠隔望診の練習をしていると、額の奥の方(脳幹のあたりでしょうか)に白い輝きのようなものを感じることがあります。

 

でも嫌な感じはしないんです。それどころか心地よい。

 

それが体幹中心を伝わって下丹田のあたりまでくると、妙に元気になってくるというか、すっきりしてくるというか。

 

で、ふと思ったことが、これって「軟酥の法」と似てないかってことです。

 

ただ、白隠禅師の行った方法とは自然発生した感覚ではなく、イメージで作り上げた卵大の白い丸薬を頭頂(額という説もあり)にのせて体全体に溶かしていきわたらせる、という方法です。

 

禅病に限らず、万病に効果ありとされる一種の気功法のようなものでしょうか。

 

もともとはイメージを利用するのではなく、自然の感覚の中で発見された方法だと思うのですが、私が体験した感覚に近いものなのかなと、ふと思いました。

 

さて気流診講座の中で特典をつけますと言いましたが、それは「遠隔望診の練習方法」です。

 

遠隔望診はただ、遠くの患者を望診する方法ではありません。あることをするのにどうしても必要な技術なのですが、それはまた後日のメルマガの中で。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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相談役 古川正明先生(福岡)

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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