望診講座48 「気流診と易占い」

目安時間6分

さて、遠隔望診を含め、気流診にはどんな応用方法があるのか?というご質問をいただいております。

 

前回、いまは言えません、と書いたからでしょうか(笑)

 

正直に言いますと、どんな応用方法がるのか私も模索中なんです。

 

で、例えばなんですが、易聖と呼ばれた高島嘉右衛門先生の著書を読んで思ったことを書きます。

 

「易とは神と人とが交話をする術であります。自分が神ありと断言できるのは百占して百中するからであります~」とあります。

 

ここでいう神とは神様の神ではありません。

 

神の語源からいうともともとの意味は自然の大いなる力(法則)の意味で、特定の神様のことを言っているのではないのです。

 

そして、その神を昔の人はいろいろな表現方法で呼びました。

 

「潜象界」もその一つではないでしょうか。

 

高島先生は間違いなく潜象界との交流ができた方だと思うんです。

 

ちょっと強引かもしれませんが、潜象界とのつながりを持つことによって、百占百中の易占の技術を修得できるかもしれませんね。

 

潜象界との交流と、は自然の法則の流れを感知する技術。

 

であるなら気流診の応用方法は無限だと思っております。

 

そして、それをなにに応用するかは、みなさんの自由です。

 

追記 望診と易断

ちょっと変わった例を紹介します。

 

易占の研究をされている方で、気流診の基礎練習での気の通る感覚を、易断(実際の占い)に利用できないかという相談でした。

 

易では、自の意識を気の世界に飛ばして神託を得るのだと言われているそうです。

その飛ばす先は易者さんによって表現が違うそうですが、それこそ潜象界ではないかと。

 

そこで気流診に興味をもたれたそうですね。

 

で、気流診における「胸の感覚」が通る感じがあれば、吉、なければ凶、という感じで研究をスタートされました。

 

気が通る感覚は「重要」とのことで、これがないとその易断は成功しないそうです。

 

なら、百発百中ですか?と尋ねると、

そうはならない、とのこと。

 

どういうことかと言いますと、たいていの相談はAという問題に対して、Bという方法をとっています、うまくいきますでしょうか?という感じになるそうで、すると易断の結果、気が通らないとなると、Cの方法、Dの方法はどうかと最善策を探っていくことになります。

 

そこで、最も良い手段へ導き出すのが易断なので、当たる当たらないはその前段階なんだそうです。

 

ただ、簡単な判断に使うのならば、易をたててみなくても、日常の例えば朝起きたときに自身に気が通るかどうかを感じてみて、通らなければ、その日は要注意だそうですよ。

 

潜象界や気の世界、これらは医療の専売特許ではないんですね。

 

わかってはいても自分も視野が狭いというか、他の世界のことをまったく知らないというか、応用方法といってもすぐには浮かんできません。

 

ですが最近、易の勉強をしていると言う方からメールをいただきまして、潜象界というのは易の世界でいう「龍神」の世界じゃないかと。

 

易は自分の気を飛ばして、「龍神」にお伺いをたてるのだそうです。

 

「龍神」=「潜象界」なら、易の判断は潜象界にアクセスしてそこで気の流れを読み判断する、と言い換えることもできますね。

 

だとすると、易の卦を読む力というのは単なる知識や洞察力、経験ではなく、潜象界にアクセスする能力に比例するとも言えます。

 

で、自分も易の本を少々読んでみているのですが、明治時代に易聖といわれた高島嘉右衛門先生は、「易は神と人との交話である、神との交話ができれば百占して百中する」と言われています。

 

なんとなく潜象界について語られていた有川先生と似た印象を受けました。

 

潜象界で気の流れを読むというのはいろいろな可能性と応用法を秘めていいるのでしょうね。

 

身体操作への気付き

さて、この方とのやり取りで、胸の感覚と気が通る感覚を再認識しましたし、そこでの気付きが身体操作での練習へ発展しています。

 

それを追加コンテンツとして、作成しようと思っています。

また、それが1day気感修得法に繋がっていますので、気流診受講者の方は、コンテンツ追加までお待ちくださいね。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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