望診講座64 「気をみる、気を感じる練習3」

目安時間5分

(質問)

人の気滞が感知できるようになると、自分自身の気滞もわかるようになりますか?

 

自分の気滞も解消できるようになるのでしょうか?

 

ご教示ください。

 

(回答)

 

結論から言えば、できます。

 

その解消方法は漢方薬、鍼灸、整体、などさまざまですが、気滞を感知して施術するということも可能ですし、単純に疼痛部位から切診して、反応点を施術するという方法もできます(手が届く範囲だけですが)。

 

有川先生はご自身にも漢方薬を処方されていましたね。

 

ただ、やはり難しいのは自分のこととなると、イメージが先行してしまうことでしょうか。

 

なので、最初の練習段階として、自分の全身画像(写真)を目の前に置いて、それを望診するというやり方がおすすめです。

 

そこで他者を望診するようにして診れば、イメージ排除もできますし、記録として残せますので、後日の検証にも利用できます。

ぜひ、やってみてください。

 

 

気流診自己施術例

 

これは私の例ですが、じつはトレーニングの失敗でジャンパーズニーを発症してしまいました。

 

かなりの激痛で、立ちすわりもままならない状態。

 

そこで、望診はしなかったのですが、切診で治療ポイントをとりました。

 

 

鍼は銅鍼とアルミ鍼(いずれも1寸2番)

 

刺鍼直後に痛みが軽減。

 

これはすごい効果だと喜びましたが、痛みが軽減するのは置鍼中のみ。

 

鍼を抜くと、また痛みがでてきます。

 

それでも、施術するたびに痛みは確実に減っていくので、同様の施術を継続。

 

走れるようになるまで2週間くらいはかかったでしょうか。

 

良い症例ではないかもしれませんが、切診の効力も実感できましたし、良しとしています。

 

ただ、これで望診もしていれば、もしかすると他に気滞がみつかったかもしれません。

 

そこのところだけ、ちょっと残念で、せめて全身の画像を記録しておけばよかったと思っています。

 

望診で気を感じるということ

(質問)

望診で気を感じる、とはある種の悟り、のようなものではないでしょうか。すると、その人の精神レベルにも高度な修行が必要だと思うのですが。

 

(回答)

あくまで私個人の意見なのですが、気の感知能力はあくまで原初感覚を利用した「技術」であって、精神的な悟りのレベルはあまり関係ありません。

 

「悟り」に限らず、どのような分野でも、ある境地に達した人たちって阿吽の呼吸といいますか、その会話も「そうだよね」の一言で終わってしまうようなことってありますよね。

 

気流診で例えれば、「そこに気滞があるから、これで(施術方法)いいんじゃない?」それに対する回答が「そうだね」の一言で終わる(笑)

 

でも、その共感できる感覚というのは、やはり言葉では表しにくいんですね。

 

そこは悟りの感覚と似ているかなと思います。

 

共感してもらうには、同じ境地に達してもらう、同じ経験をしてもらう、または同じ感覚を獲得してもらうしかないんです。

 

どんなに言葉を尽くしてもその感覚を正確に伝えることは、できないのですから。

 

 

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html