望診講座79 「経絡治療における脈診論2」

目安時間5分

潜象界の気を調整するための経絡治療

経絡治療は古典の理論をもとに体系づけられています。

 

そして、その理屈が難しいですよね。陰陽五行論から始まる古典の理屈・・・。

 

その難しさ、怪しさが鍼灸の魅力であり、逆に敷居の高さの原因ともなっています。

 

しかし、鍼というのは実は単純なんです。

 

Aという気滞がある、そこにBという鍼の手技をほどこす。

 

すると気滞Aは気滞のない状態Cに変化して、病(やまい)は治癒へ向かう。

 

つまりA+B=C。

 

これは客観的に観察可能でまた、再現性のある事実、です。

 

つまり、この部分の事実だけを観察するならば、経絡治療は非常に科学的な医学ということになるんです。

 

しかしAとBの間になにが起こっているのか?そのあたりがブラックBOXになっていてその理論がわかっていない。

 

そこで古代の鍼灸師たちは、自然現象の観察のなかからその理屈を考え、さまざまな古典理論が生み出されたのです。

 

しかし、それらの理屈はあくまで仮説であって、事実として証明されているわけではありません。

 

さらに仮説ですから、さまざまな矛盾点も存在します。

 

ですから経絡治療の運用には、実はそこまで難しい理屈を覚える必要はないのです。

 

経絡治療の運用には事実として確認できる最低限の知識だけあれば、あとはシステマチックに施術できてしまいます。

 

習ったその日から施術できてしまうのが経絡治療なんです。

 

しかし、同時に奥も深い。

 

やればやるほど、その奥深さも見えてくる。

 

そんな経絡治療ですが、難しい理屈は後にして、まずは実践してみる、それができるのが経絡治療です。

 

使える経絡治療、それを目指します。

 

鍼灸における経絡調整

さて、望診ができないうちは脈診で気の動向をうかがいながら経絡調整をします。

 

脈を診る、その相手に意識を集中!

 

刺激量の話とも少し関連します。

 

経絡調整をする鍼灸治療では脈の変化で刺激量の適量を決めているからです。

 

脈の強さ、弱さをただ数値化して診ても意味はない。

 

その脈の先にある経絡の動き、生命の動きを観察しているのです。

 

経絡の変動をダイレクトに観察することは困難ですが、その気の動きが象(かたち)となって現れた一つが脈なのです。その脈を伺うことで、気の流れの動向を推察していきます。

 

経絡調整の鍼治療の特徴は接触鍼ですが、血(けつ)の変化を要するときは深く刺入する豪快な鍼法を用います。

 

気の変化、経絡の変動に合わせて鍼の手法を用いる、そこには生きた経絡、経穴を扱うプロの技術があります。

 

経絡治療家は人の健康を左右する効力のある鍼法を身に着けていきます。

 

その自覚があるため、自ずと真剣にならざるを得ません。

 

一鍼に魂を乗せて、鍼をうつ。

 

その一鍼が大きく経絡の動きをコントロールしていく様は圧巻であり、見事としかいいようのない芸術的な手法です。

 

経絡治療の修練はあくまで楽しく、笑顔で、明るくが基本です!

 

楽しくなければ経絡治療じゃない、といっても良いくらいです。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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