望診講座78 「経絡治療における脈診論1」

目安時間4分

脈のその先にある「気」の流れを感知するのは望診法であるとはいっても、望診法を修得する前に脈診に頼らざるを得ないのも事実です。

 

「気」の動向を探るには、脈が比較的「気」に近い存在であるからです。

 

脈診を学ぶ

脈診をこれから学ぶという方に

 

脈診は難しい、どうやって学んでよいかわからない、という方が多いと思います。

 

脈にも顔と同じように相や表情があります。

 

質問ですが、あなたは他人の怒っている顔と笑っている顔の区別がつきますか?

 

まあ、ほとんどの方が「分かる」と言われると思います。

 

脈を診るのも、顔の表情を区別するのと変わりません。

 

つまりいろんな人の表情(脈)をみて覚えること。

 

まずは健康人の脈をよく観て覚える。

 

次に病んでいる人の脈を観て違いを感じること。

 

それだけです。

 

健康人と病人の脈の違いは?

 

脈管の形、脈の流れや勢い、など違いを説明するのは簡単なようですが、じつは言葉で表現するのは難しいのです。

 

顔の表情を言葉だけで説明できますか?

 

例えば、怒っている顔。

 

えっ~と、まず目の毛細血管が充血していて、口輪筋が緊張して・・・・・わかりにくいですよね。

 

それに言葉で覚えると間違う可能性があります。

 

とにかく健康人と病人の脈を覚えて、それが健康な脈なのか、異常な脈なのかを判別できれば第1段階としてはOKでしょう。

 

脈を押さえる力はマシュマロが半分くらい潰れる程度の圧。

 

最初は浅いところ、深いところなどと考えず、まず脈相を観る。

 

顔の表情を見るように。

 

それだけで良いです。

 

 

気滞を調整する経絡治療が圧倒的な効果をだせる理由

経絡治療は、なぜ圧倒的な効果をだせるのか?

 

経絡治療では脈を重視しますが、その理由は気の変動をうかがうためです。

 

気そのものは、ダイレクトに観察できませんが、その「気」がだんだん象(かたち)をまとい、姿を現したものの一つが脈なのです。

 

ですから、脈の動向から「気」の変動をうかがうのです。

 

そして、その「気」の変動は皮膚接触による鍼でしか調整できない部分があります。

 

深く刺入する鍼とはまったく目的が違うのです。

 

深刺の鍼で調整している「気」とは種類が違うものを取り扱っていると考えていただいてもかまいません。

 

皮膚表面からの気の調整をしたほうが効果がだせる疾患が多数存在します。

 

だから適応症であれば圧倒的な効果がだせるわけです。

 

経絡治療はあなたが現在実践されている治療体系を邪魔するものでも否定するものでもありません。

 

それどころか、あなたの施術能力の幅を広げてくれるものとなることと思っています。

 

あなたの施術体系にぜひ、皮膚表面からの気の調整を取り入れてみませんか?

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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