望診講座84 「六部上位脈診について」

目安時間6分

脈を診る指の形について

 

脈を診るにはまず中脈というものを診るわけですが、その大切さという事を改めて考えさせられました。

 

まず診るべき中脈です。

 

脈の判断基準となる中脈は胃の気の脈ともいいますが、殆どの患者さんは胃の気の脈には虚実がないと言われています。

 

つまり感知しやすく基準にしやすいということです。

 

この脈が伝わってくる状態を診るのに脈が糸をはったようにピンとなっていればよいののですが、たいてい動脈が少し曲がっている。

 

例えば関上の脈の部位、つまり橈骨茎上突起の部位は少し高く盛り上がっています。

 

その両端はこの盛り上がりに対して凹んでいるわけですからアーチ状の橋のようになっているのです。

 

この脈のかたちに沿って指を平らに当てなければならないのですが、指のほうを平らに並べてしまっては意味がない。

 

脈のかたちに沿って指を当てなければならない。

 

以外とこのような初歩的なミスをいまだにしているのではないでしょうか?

 

常に注意したい点です。

 

その中脈から浮かしてみて指の腹を突く場合は浮脈。

 

(※指導する先生によって違う見解を示す場合あり)

 

脈の基本の浮沈虚実を診るのに中脈がはっきり感知できなければ判断に迷うわけだから大事なことですよね。

 

脈を診る圧について

次に、脈にあてる指の圧について。

 

難経の五難に脈を診るときの強さについての記述がありますよね。

 

よく寸口の脈だけがはっきりせず虚と感じる場合、だが寸口と尺中は陽と陰で、陽である寸口は浮いている。対して尺中は陰だから沈んでいるのが普通。

 

五難には寸、関、尺の脈を診る強さを三対六対九と記述されています。

 

もっとも、これは分かり易く具体的な数字で表したのでしょう、実際に脈を診るときには、ここまではっきりとした数字的な差はありません。

 

ですが、そういう意識を持って脈を診なければ判断を誤るのだと思います。

 

これも常に注意したい事の一つですね。

 

次は指をあてる位置について。

 

私の例ですが、昔、来る患者が腎虚や肝虚ばかりということがありました。

 

おそらく中指が茎状突起にちゃんと乗っていなくて尺中の方にずれていたのではないかと考察しました。

 

これは患者の手首が屈曲しすぎていても起きる現象で、逆に肺虚や脾虚が多くなるのは逆に手首が背屈しすぎているときに起きます。

 

寸口の脈をしっかりと診ようと頑張りすぎた結果であるらしい。

 

脈を診るときの前後のズレ、左右のズレ、そして指にかける圧(深さ)が、慣れてくると微妙に狂っている事に気がつかなくなります。

 

常に初心を忘れず脈に接しようと思う。

 

さて、次に脈診における指の形と沈め方ですね。

 

三本同時に沈めて診るか、一本ずつ沈めて診るかという問題だが、やはり三本同時に沈めて診るほうがよいらしいです。

 

らしい、と言うのは大家といわれる先生でも三本派と一本派に分かれるからなんです。

 

ただ、初心者が脈診を覚える場合は三本同時に診るということを覚えたほうが良い。

 

理由は、まず脈を診る場合に脈の強弱だけでなく脈所の皮膚の状態を感じ取るようにし、次に脈の幅を診るためです。

 

脈の幅とは中脈からの陰、もしくは陽といった脈の幅のことです。

 

そして、その脈の幅を、血流を止めない状態で診なければならない。

 

初心者は脈の深いところを診ようと、脈がつぶれて血流が阻害されるくらいに押しつぶしてしまうので、よく注意しなければならない。

 

そして脈に指を当てた指を同じ形のまま上げ下げして、この脈の流れを判断します。

 

その全体の流れを把握するためにはやはり三本同時に脈を診るということができる必要があるのです。

 

ただ、詳しく診ていく場合一本ずつの判断も加えてよいとも考えています。

 

脈がよく分からない場合、基本に帰りましょう。

 

中脈から浮沈を診て判断しているか?

 

指の当たっている位置は正しいか?

 

患者の手首の形や角度を考慮しているか?

 

脈を診る指の圧は正しいか?

 

あらためて注意して脈を診ようと思う。

 

 脈診の練習会

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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