望診講座94 「脈診の有効性の実験」

目安時間4分

おそらく60年以上前のことだと思います。

 

脈診ははたして診断基準として有効なのか?という実験をした先生がおられました。

 

赤門鍼灸専門学校の講師をされていた先生で、のちに東北医大で星状神経節刺鍼の研究をされた先生です。

 

自らも経絡治療を学び、脈診もかなり練習されたようです。

 

そして・・・

 

当時の脈診の大家と言われた有名な先生を4人集めて、同じ患者さんに対して、それぞれに脈で証をたててもらいました。

 

結果、すべて違う証(病名のようなもの)がたち、何度やっても一致しなかったので、脈診は再現性なし、という結論に達したらしいです。

 

 

さて、皆さんはどう思われますか?

 

まず、私は脈が証決定のすべてではない、と思っています。

 

医師だって、たった1つの臨床データから診断しなさいと言われたら、てんでバラバラな診断がたつと思いませんか?

 

例えば、熱が39度あります、さて、考えられる病名は?みたいな。

 

 

次に脈診に限らず、東洋医学の診察、診断はその人の生命力の診断ですから非常にファジーであるということ。

 

そのあたりが東洋医学の難しさでもあり、インチキ視される原因でもあるのですが。

 

東洋医学はとらえどころの無い生命力を判断するファジーな医学。

 

そして東洋医学の鍼灸術は非常に統計学的な要素が強い。

 

現時点では科学的に観察不可能な経絡の変動を身体の微妙な変化から膨大な統計をとって、そこからなんとか捉えてみようとする医学なんです。

 

 

また、その観察対象が数字ではなく、生命現象なので観察方法が一元論的なものにならざるを得ません。

 

それは観察者と対象物に差があってはできないことなんです。

 

ですが、観察者は人間ですから、どうしても表現方法に差がでてきます。

 

同じ状態を観察し、同じ現象を捉えていても違う表現をするかもしれません。

 

だから違う証が立つし、正反対の施術をしていることもある。

 

経絡の真実は自分自身で見極めるしかありません。

 

経絡は観察者によって違う見せ方をするのではないか

私はこう考えています。

 

まず、脈は気が変化したものであって、気の動きそのものではない、ということ。

 

そして経絡、気というものは観察者(ここでは術者)によって、それぞれ違う姿を見せるのではないか、ということです。

 

それは術者の経験や学んできた施術方法にもよるのだと考えています。

 

でなければ、正反対の施術をして効果がでるはずがありません。

 

もちろん、これは仮説、仮定の話ですので、これからの研究によってはまた考えが変わるかもしれません。

 

そのときは、またご報告させていただきます。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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