望診講座93 「気の感覚とは?」

目安時間4分

時々いただく質問に、「気の感覚とは、どういった感覚なのでしょう、磁石の反発のような感覚は正しい感覚ですか」というのがあります。

 

さて、私たちがいう気の感覚は、そういった実感をともなったものはありません。

 

ただ、なにかに引かれる感覚や、磁石の反発感、ふわっとした感じ、色(オーラ)、はっきりとした形(かたまり)として感じるなにかは、間違った感覚だというつもりもありません。

 

ですが、純粋な気の感覚とは少し違うように思います。それらは気の周辺の夾雑物を含んだ、雑気だと考えています。

 

また、望診をしたときに、はっきりとした形として感知されるものは、気流診においては病巣、実体と考えています。

 

例えば、整体においてはっきりと感知される「なにか」は実際に筋緊張がある部位や、歪みそのものだったりします。

 

なので、その「なにか」を感知しなくなるまで、矯正などの施術をすることは、それはそれで有効な手段だと思います。

 

ではその先にある気の感覚とはなにかといいますと、ただ「ある」という感じ以外になにもないのです。

 

それは非常に頼りない感覚です。

 

でも、他の実感をともなったものと判別しているうちに、だんだんと「これか!」というのが分かってくると思います。

 

そうなったときに私たちの言っていることが分かっていただけると考えています。

 

ちなみに、実感を伴った感覚から得られる施術点(経穴)と、気滞から得られる施術点は違う場合が多いです。

 

追記 脈診と望診の違い

ご質問への回答です。

 

(質問)

経絡治療では脈診で気をうかがいます。

この方法で得られる変動経絡とその主治穴と気流診で得られる変動経絡および、治療点(反応点)は違うものですか?

 

(回答)

これはちょっと難しい質問です。

 

脈診において初心者は脈差診で判断しようとしますが、脈の強弱のみをもとに変動経絡を感知しようとするならば、それは全くの間違いです。

 

そもそも強弱が平らな平脈は存在しません。

 

つまり、強弱(脈差)はあって正常なのです。

 

その中で経絡の変動をうかがうことは術者の練度でその答えが変わってきます。

 

ちなみに経絡治療の熟達者を集めて、脈診のみで証(病名みたいなもの)を立てた場合、その一致率は30%に達しませんでした。

 

脈診は気の変動の現れではありますが、気の動きそのものではありません。

 

そこから気の動きを察知するのは至難の技なのです。

 

さて、気流診との一致率ですが、これも30%以下といっておきます。

 

つまり、まったく違うものだと言わざるを得ません。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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