望診講座97 「経絡治療における適応即判定について」

目安時間6分

経絡治療において、適応側ということを重視されている先生方がおられます。

そういったことを質問される方が何人かいらっしゃいましたので、回答させていただきます。

 

さて、適応側の判定については先生方によって独自の判断基準を持っておられる先生もおられると思います。

 

基本的には健康側。

 

男性は左。

 

女性は右。

 

これが基本と言われていますが・・・。

 

反応点を拾ってみても、確かに健康側に反応点(経穴)が出現するパターンのほうが多いです。

ただ、多くの先生が言われているような、男女間の差は現時点では、ほとんど見受けられません。

 

従って、男女間の差は考慮にいれておりません。  ですがいろいろな意見や考え方があると思いますので、もしこういう考え方があるというコメントをいただけたら嬉しく思います。

 

 

適応側の判定基準

気滞が判別できれば適応即の判定も容易になるのですが、気滞や経絡が見えないうちは実症状から判断しなければなりません。

 

そこで、みなさんはどのように判断されていますでしょうか?

 

症状に偏りがない、風邪などの全身症状などなど・・・

耳前動脈? 足背動脈? 中脈? 臍のわきの盛り上がり? その他の症状を探して、なんとか左右差を見つける?

 

いかがでしょうか。

 

私のところでは反応点の多いほうを優先しています。

 

実は症状の偏り以外はあまりあてになりません。

 

ですが反応点を拾っていくと、とんでもないデータがでてきたりします。

 

データがある程度集まったらまた発表します。

 

では、問診はどうなのか?

以前のメルマガで書いた、患者さんの「よくなりました」はあてにならない、と似ていますが、問診時の患者の訴えも実は当てにならないことがままあります。

 

まず、患者さんにとって日常化している症状は訴えるレベルにあがってこない。

 

例えば便秘です。

 

あまりに日常化していると、便秘している状態があたりまえになってくるので、こちらが聞かない限り便秘の症状を訴えないことがあります。

また便秘のレベルがこちら側とあまりにずれていると、聞いても教えてくれません。

 

つまり患者さんの独自の判断基準で3~4日に1度は正常、7日以上いかないと便秘ぎみ、と思っている方がいらっしゃいます。

体の状態を的確に判断、評価するのは結構難しいものです。

 

問診で患者さんの意識に上がってこない症状は聞き逃すことがあるわけです。

 

それには3種類あると思うんですよね。

 

ひとつは前回書いた慢性化、日常化した症状。

 

もうひとつは、患者本人が他の症状が気になるために忘れている場合。

 

これが実際には以外に多いんです。

 

先日も急性腰痛の痛みが和らいできたら「そう言えば肩も痛かったんですよ」と、四十肩を訴えだす方がいました。

経絡治療では相剋調整が基本なのですが、その方は脾肝相剋(脈診による)でした。でも肝木の変動に弁別できるような具体的な症状は最初なかったんです。

 

後になって、それは肩に症状となって現れていたんだな、と気付きました。

 

そういうことがよくあります。

 

さて、最後の1つですが、それは無症状だけれども気滞がある状態のときです。

 

つまり患者本人の自覚症状にはまったく現れていない状態。

 

ですが、気の滞りを感知できるということは、症状の自覚がないだけで、すでに病を発症しているのと同じ事ですよね。

ですから未病の状態とは少し違います。

 

未病の予防は本当の養生法のことで、気の滞りや経絡の異常を調整することを言うのではありません。

このあたりを混同している方が多いように思います。

 

ですから気の滞りから変動経絡を確認し、問診で洗い出していくと本人も気づいていなかった体の変化や嗜好の変化を発見することがあります。

 

例えば、胃経の気の滞りで自覚症状は無かったが、よく思い返してみると最近、食事の好みが変わったとか、食べても空腹感が消えないとか、なにかしら将来の病気に発展しつながっていきそうな変化が見つかったりします。

 

少しでも気の滞りを感じたら注意です!

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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