望診法講座35 「エドガーケイシーと望診」

目安時間7分

エドガーケイシー氏も気の感知能力があったのではないでしょうか?と書きましたが、

「同氏が望診をしたなんて記録をみたことがないです」というメールをいただきました。

 

私もありません(笑)

 

ただ、氏が患者に対して、リーディングによって、このような治療をしたり、

薬を取ると良いとか、アドバイスをおこなったという記録は読んだことがあるんですね。

 

そのアドバイスは問診などをもとに処方したのではなく、

なんらかの感知能力をもちいて、したらしいのです。

 

気流診でも段階が進むと、経穴の選択だけではなく漢方薬や必要な食材の選択もできるようになります。

 

その人の気滞解消に必要な漢方薬が感知できるんですね。

 

どのようにするかといいますと、患者の気滞を感知したら、

検討を付けて漢方薬を握らせてみます(握薬)。

 

その漢方薬が合っていれば、気滞が解消されるので、それを目安に漢方薬を処方します。

 

私は医師ではありませんので、そんなことができても実際に処方などできませんが、

やろうと思えば、そういうこともできるということです。

 

実際に有川先生の治療はそのような治療でした。有川先生は医師でしたから生薬を独自の配合で処方されていました。

 

試験管の中に入れた漢方薬を複数組み合わせて、握薬させ、気滞が消える組み合わせを処方されるのです。

 

繰り返しになりますが、気の感知能力は人本来の原初感覚です。

 

その能力をどのような形で応用するかはさまざまだと思います。

 

ではその原初感覚はどのように修得するのでしょうか

 

望診のための原初感覚

じつは、エドガーケイシーの著書にも、有川先生の著書にも望診法の修得過程は書かれていないんです。

 

読まれた方はご存じかと思いますが、過程の説明は最初のほんの2~3行だけで、

東洋医学を実践するうちに手でツボを感知できるようになった、そのうち触れなくても感知できるようになった、

ついには眺めるだけで感知できるようになった、とあるだけです。

 

でもここで重要なのは最初は気を感知する「手」を修得されたということです。

 

この「手」の作り方については著書の中でも説明されています。

 

と言っても、それは有川先生が考案された方法ではなく、お弟子さんたちの考案です。

 

ですが有川先生も認めた有効な方法です。

 

参考⇒望診法講座11 治療家の手をつくる

 

追記 指頭感覚について

では、その指頭感覚ができればよいのでしょうか。

 

先日のメールに対する質問への回答です。

 

「望診が修得できれば、指頭感覚はもう必要ないということですね?」といった感じのご質問でした。

 

そうではありません。

 

確かに気滞は望診でしか判別できませんが、その実際の施術点は指頭感覚で判別します。

 

別な言い方をすれば、最初に指頭感覚を修得すれば、その時点で気の調整(経絡治療)はできるんです。

 

気滞はわからなくても、とにかく反応点(治療点としての経穴)に施術していけば、

いつか気滞も消滅し症状も改善に向かいます。

 

もう一つのご質問です。

 

「指は皮膚から離すより接触させたほうが、より気の感覚を拾いやすい(判別しやすい)のではないのですか?」

 

じつは、接触させたほうが難しくなります。

 

それは同時に触覚からの情報も一緒に処理するからなんです。

 

気の情報を拾うには通常の五感や想像を可能な限り減らさなければなりません。

 

そのために少し皮膚から離すんですね。

 

もう少し高度になってくると皮膚の外周を巡る気の流れや皮膚から離れた位置にある反応点(経穴)も分かるようになってきます。

 

そしてその感覚を胸の感覚でおこなうのが「古式の望診法」だとお考え下さい。

 

追記 望診は胸の感覚が重要と言った件について

胸の感覚でおこなうとは、どういうことなのでしょうか?

 

以下いただいたご質問です

 

「望診は胸で感知するもの、ということでしたが、

それは第4のチャクラと関係がありますか?チャクラだとすれば、眉間などではだめなのでしょうか?」

 

じつを言いますと、望診をされる先生方の中にも同様の疑問をもち、いろいろ試行錯誤された先生がおられます。

 

その先生の中には眉間でもよいとされる先生もおられます。

 

ただ、私が試した結果では胸以外ではうまくいきませんでした。

 

他のほとんどの先生も胸ではうまくいくが、眉間などではできないとされています。

 

望診は胸で感知するもの、とご理解ください。

 

なお、チャクラとどういう関係があるのか、

もしくはチャクラの働きそのものなのかということについては、分かりません。

 

そういったチャクラ、ヨガや仙道との関連性も興味はありますが、

現時点では私の研究の対象外となっております。

 

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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