望診法講座36 「望診は胸の感覚でするもの!?」

目安時間6分

望診のコツは胸の感覚、「気の流れは胸の感覚でみる」に対して、「なんのことやらまったく意味がわかりません」といったコメントをいただきました(笑)

 

まあ、そうだと思います。

 

私も最初はまったくわかりませんでした。

 

もう少し具体的に言いますと、たとえば実際に触れて指でなぞる(触覚)、これは分かりますよね。

 

その感覚が鋭敏になってくると、指を離した状態でも分かる、レベルに達します。これが気の感知能力の第一段階です。

 

さらに、その対象物(患者)から離れた状態で、指でなぞる感覚を胸でできるようになるのが望診の感覚です。

 

だから、もっとも鋭敏な指の感覚を最初に練習するのが良いのです(指頭感覚)。

 

では最後まで指でいいんじゃないのってことになりますが、

望診から先の技術を得ようとすると、指の感覚だけではできなくなってくるんです。

 

どうしても胸の感覚が必要になってきます。

 

それは指で得られる気の情報のその先をみようとすると、

必然的に開発されてくる能力なのかもしれません。

 

昨日の続きになりますが、もしかすると、望診のそのまたずっと先の奥深いところを見ようとすると、

胸の感覚ではなく、眉間とかになってくるのかもしれません。

 

でもいまはまだ仮定の段階ですから、そこまではわかりませんし、

現状、人の経絡の異常を感知する望診においては胸の感覚だけでできます。

 

望診の初期の練習はこんな感じでした

私が望診の練習を始めた頃は、参考資料になるものがまったくありませんでした。

 

経絡治療系の学会にも参加しましたが、気の流れや経絡を実感をもって把握しておられる先生はおらず、非常に残念に思ったこともあります。

 

その経絡の大先生いわく、「経絡はあると信じて治療にあたるほかはない」とのことでしたが、信じなきゃいけないということは、あるかないか、実感がないということと同じです。

 

宗教じゃあるまいし、「信じろ」とは・・・。

 

その後、まったく違う分野(と当時は思っていました)の先生から教示を受けたのです。

 

江戸期より伝わる古式整体を伝承する先生です。

 

その先生は「気が通らないと整復もうまくいかない」と言い切る先生でした。

 

その古式整体に伝わる技法が「見(けん)の技術」です。

 

後に経絡を望診するという有川先生に出会いましたが、その先生は望診の練習方法までは教えていませんでした。

 

経絡を見る望診とは少し違うのですが、先の見の技術は練習方法を残していましたので、非常に参考になりました。

 

見の技法とは

古伝整体術には「見」の技術というものがあります。

 

見て、診断する、という技術です。

 

気流診、古伝望診法に通じるものがあります。

 

当講座でも時々紹介させていただいている会津古伝整体にも見の技術が伝わっており、見て、その体の歪みのポイントを感知するという技術です。

 

ですが、それも古伝望診法と同様に、ほとんどの流派では、その修得過程は記録されていないんですね。

 

では、どうやって修得したのか?

 

 

これも想像するしかないのですが、おそらく見取り稽古です。

 

ただ、師匠の施術を見ていなさい、という見取り稽古で修得されたようです。

 

ですが、その方法では弟子全員が修得するのは難しいと思われます。

 

なので、当講座ではなるべく具体的な修得(練習)方法を提示し、みなさん全員が望診の技術を修得できるようにしていきたいと思います。

 

幸い、会津古伝整体には、その見の技術の練習方法が残されています。

 

他者施術の観察も練習のひとつ

気流診(望診)ができるようになると、他者の施術の予後を予見できるんです。

 

具体例を挙げますと、かつて有川先生が明治国際医療大学で治療のデモンストレーション会場で他の整体の先生の施術を見学していたとき、施術終了後、突然「いまので痛みはとれていない(気滞が残っている)、途中までは良かった、なぜ最後のその手技を施したのか?」と発言され、被験者に向かって、「まだ痛いでしょう?」と言いました。

 

会場騒然、その場はまあまあで終わりましたが、有川先生からすれば、純粋に疑問に思われたんでしょうね。

 

語り草になっている一場面です。

 

それと同じように、その施術がうまくいったかどうか、

またその施術(先生)が本物かどうかも分かっちゃいます。

 

また、古典は玉石混合ですが、その古典も本物かどうかの見分けがつくようになってきます。

 

それも応用法と言えば、応用法でしょうか。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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