望診講座101 「高血圧と気滞との関連について」

目安時間4分

平均寿命と健康寿命の差が10年以上あることを書きました。

 

つまり平均で10年以上は寝たきりか要介護状態で過ごすわけです。

 

そう考えると、日本の高齢者は決して豊かな生活ができているとは思えません。

 

それに、日本の寿命は本当に伸びているのでしょうか。実は少子化も影響しているようです。乳幼児死亡が減れば、平均寿命は延びますからね。

 

そこで、健康寿命を延ばすことを考えなければならないと思うのですが、それに気の感知技法が役立てないかと考えています。

 

症状があっても経絡に異常がでない場合もある(すでに自然治癒のベースに乗っている場合)、では逆に症状が無くても気滞が生じる場合もあるのか、というとあるんですね。

 

すでに自然治癒、恒常性維持に異常が生じている場合です。

 

ですから、症状がなくても定期的に通院していただいて、気の流れを診るということは予防につながるとも言えます。

 

 

           例えば血圧について

 

そうは言っても、やはり自身の健康管理が最も大切なことには変わりありません。

 

最近、血圧を単純に下げることへの警告がしきりに言われています。それも高圧剤を処方する医師からの警告です。

 

どういうことかと言いますと、それにはまず何故、血圧が上がるのかということを考えなければなりません。

 

そもそも高血圧だと言われると単純に悪いことだと思われがちですが、血圧が上がるのは全身に血液を送るためなのですから、高血圧は体にとって必要なことでもあるのです。ですが、脳梗塞などの血管障害を恐れるあまり、必要な圧力を下げてしまうと、体の隅々に血液(酸素のや栄養など)が行き届かないということになってしまいます。

 

年齢を重ねると、体が硬くなります。

 

硬くなれば血液の流れが悪くなるので、心臓は圧力を上げて、全身に血液を送るのです。

 

さて、その必要な血圧を下げてしまうと、どんな悪影響がでるのでしょうか。

 

血液が行き届かないと、体の細胞が酸素不足、栄養不足になり機能が低下しますし、また白血球不足によって、免疫力も低下します。その結果、癌や感染症、また認知症などになりやすくなってしまいます。

 

ですが、血管障害も怖い、なりたくない。ではどうしたらよいかと言いますと、高圧剤で無理やり血圧だけを下げるのではなくて、全身の血流をよくする方法をとれば良いのです。そうすれば、血圧はあがる必要はなくなり、自然に血圧は下がっていきます。

 

その具体的な方法は、まず体を温めること、適度に体を動かすことです。単純ですが、もっとも効果的な方法です。血管は筋肉の中を通過していきますから、体を動かし、筋肉を動かせば、そのポンプ作用によって、血流が良くなります。

 

次に、油の摂取、砂糖の摂取を減らすことです。

 

この二つを減らすことは血管内部の掃除につながります。シンクや風呂のパイプが詰まっていたら嫌ですよね。

 

自分の血管ならなおさら綺麗にしておきたいところです。流れる水は腐らない、流れる血液は健康寿命を延ばしてくれます。

 

また、このような高血圧の場合、動脈硬化が心臓の血管で進行していると、その部位付近に気滞を感知しやすくなります。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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