望診講座104 「気と重力、気を感じる力」

目安時間6分

さて、私が気流診修得に姿勢や脱力を重視しているのはご存知かと思いますが、その理由は大きく2つあります。

 

その1つを簡単に解説します。

 

それは、自分の内側を細分化して観察することで、「微小な差異」に敏感になる訓練をすることです。

 

瞑想でも内側に向かう方法と外側に向かう方法があるようですが、その内側に向き合う方法をとっています。

 

※外側に向き合う方法も正規講座では紹介しています。

 

ただ、微小な差異を感知するといっても基準となるものが必要です。

 

それが重力です。

 

自己の身体と重力との関係性を細かく観察することで、微小な差異に敏感になり、気を感知する感覚訓練をしているのです。

 

なので、背筋を伸ばし、ただ良い姿勢をとればよいといった単純なものではありません。

 

さて、「自分の内側を細分化して観察することで、微小な差異に敏感になる」という練習方法は野口体操からヒントを得ています。

 

古来、多くの技芸ではこの自分の内側と向き合うということを重要な練習方法として位置付けていました。

 

武術しかり、芸事しかり、です。

 

そして、自分の内側の感覚が磨かれ、鋭くなればなるほど、相手の微小な差異にも敏感になっていきます。

 

そこまでくると望診に繋がっていくのだと思っています。

 

宇城憲治氏という空手の達人

宇城憲治氏という沖縄空手を伝承されている空手の師範がおられます。

 

その方の著書に「気と重力」というのがありまして、そこでは気功の気は、物理の重力であり、武道での「間」を司ると書かれています。

 

著書のレビューには重力と気は違うだろう?という意見も多く書き込まれているみたいですが、私はこの重力(引力)の働きは最も身近な自然の力であり、気の具現化した動きであることには同意見です。

 

そもそも、重力とはなんなのか?、どうして重力が発生するのかすら、科学でも完全に解明されているわけではないみたいですよね。

 

重力もまた、不可思議な自然の働きであり、解明されていはいないが、確かにそこに存在する「力」なんです。

 

実際に引力と身体との関係を重視される整体の先生は多く、それをもって一流派を名乗られているかたもおられるくらいです。

 

では気流診ではどうしているのか、と言いますと重力が最もかかった状態、立位での望診を基本としています。また最も重力から解放された状態、寝た状態での望診との比較をすることで、どの気滞がもっとも重要かを判別しています。

 

正規受講者の方には動画の中で解説しているとおりです。

 

単純に筋緊張だけをみていても寝た状態で緊張がとれていても立位では緊張が現れるということもあります。

 

立位で良好な状態が保てるようになることが一つの目安でもあります。

 

 

補足です

補足を少し。

 

ただ、重力の正体って、じつは解明されてはいないんですよね。

 

重力は引力と遠心力の合力だと習いましたが、そもそも重力が存在するのは物質に質量があるからで、質量があるのはヒッグス粒子とよばれる粒子が存在するからだとされています。

 

ではどうしてそんな粒子があるのかといえば、わかっていませんし、重力がなぜ存在するのかもわかっていないのです。

 

さらには、重力の働きも分かってはいますが、完全には解明されてはいません。

 

この世界(宇宙)が持っている性質の一つとしか言いようがないそうですね。

重力=気かと言われると、そこまでは言いきれませんが、私は気の働きの1つであろうとは思っています。

 

そもそも「気」とはなにか?

現時点ではその定義も共通のものはありません。

 

東洋医学、気功、武道でいう気など、気というキーワードを使用する技芸はさまざまありますが、同一流派内、各個人でもそれぞれ見解がわかれています。

 

当会における「気」とは自然の法則(そのなかに重力も含みます)から形成された、生命体同士の情報ネットワークのようなもの、と考えております。

 

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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